今学期最後の授業が、月曜日に終わりました。最後の授業は、AuditしているMichael Dolye先生の"Topics in International Ethics"。今学期(そして恐らくSIPA在学中)、最も印象深く、また最も質の高い教授と授業内容でした。毎回クラスでは、先生が淡々と重いテーマ を学生に提示し、PhDの学生数人も含めた20人ほどの受講生で濃いディスカッションが繰り広げられます。毎度テーマが重過ぎて、私は授業後もしばらく数 日、なかなか消化しきれなくなってしまうのですが、最後の授業も多分に漏れず重い課題でした。前回二回、international distributionの回で、経済格差の不平等と分配の問題について議論したのち、5月1日に最終回を迎えました。
「何故、リアリス トは、国内法で人々に人権と機会の平等を保障しているのにもかかわらず、一歩国の外のことになると、飢餓や殺戮にさらされている人々を見過ごし、何もしな いでも倫理的に済まされるのか。」「"Decent"といわれる国々の人々は、飢餓や殺戮にさらされている"burdened"に対し、その場凌ぎの "Aid Assistance"をすることで気を済ませているが、何故、(根本的な解決をするために、)国内で保障する人権と平等について、国際社会の中では責任 を追わなくても倫理的に許されるのか。」
リアリストに挑戦するリベラリストの倫理的問いに対して、リアリストの答えは、先生によれば、 「人権を守るとは尊厳を守ることだが、尊厳の与え方(dignify)は文化によって異なるのでタッチしないでもいい、という言い訳がつく」 (cultural differences)。また、「目の前で瀕しているのでなければ、特に関わる責任も生じないと感じ、良心の呵責に苛まれることもなく、干渉しないとい う選択をとる」(self-determination/self-deffence)。という、二つがあるのでは、とのこと。皆さま、いかがでしょう。
つ くづく思ったのは、国際社会で急速に広がっていく格差や不平等の問題について、開発経済学などで「どのように是正していくか?」ということが広く学ばれる ことはあっても、その前提となる「なぜ是正しなければならないのか?」という根本的倫理的議論が、これまで抜け落ちてきたのだと気付きました。同級生や学 外の人と話していると、何故日本はアフリカに関わらなければならないのか、 とよく聞かれます。何故、他人事の貧困削減に、日本を含めた国際社会が取り組まなければならないのか、国内だって大変な状況なのに何故ODAを GNP0.7%まで上げる必要があるのか、国民になんて説明するのか、何故スーダンに自衛隊を派遣しなければならないのか。Let them fight among themselves! などなど…。
確かに、日本にとってアフリカは、地理的にも遠い、歴史的責任もない。し かし、アフリカの惨状を解決することは、グローバル化後貿易などで相互に依存しあい恩恵を享受する国際社会が、急務の課題として取り組んでいる共通の問 題。実際、安保理で話し合われる議題の6.5割は、アフリカについてです。2001年9/11以降は、前にも述べたとおり、貧困がテロの温床となるという 安全保障との深い繋がりが認識されるに至り、米は対アフリカ援助額を4倍近くに、仏も3倍以上にあげています。(主要国の援助額推移グラフ) 対アフリカ問題の取り組みは、国際社会の平和と安定のための戦略と位置づけてられているからです。日本は国際社会の一員として、恩恵を受けている限り、問 題の解決に対する責任があるのだと思います。…といっても、なかなか実感として沸かないのが普通のようです。でも、今回の小泉首相のアフリカ訪問もそう いった背景があると思います。
私が公共政策を勉強したかった理由のひとつは、国内の公共政策の考え方や政策を、どのように国際公共政策に 汎用させるのか、考えてみたかったこともあります。(が、そのような勉強は全くできず、リアリスト集団の中で喘ぐだけでした。)国内では、税金や社会福祉 政策による富の再分配・所得再分配が政策の中で実施されているが、国際社会には税金などない。1年間、経済の仕組みを勉強しましたが、これでは格差が広 がっていくばかりで、是正に向けた解決策とはならない、と理解しました。(間違ってるかしら。)
微々たる援助や経済成長をしたところで、 到底、平和と安定のための再分配には及ばない。要するに、南北の不均衡と不平等の問題を解消しよう、機会の平等と人権を保障しようという、国際社会の「政 治的意思(political will)」が足りないことが問題である、と、リベラリスト・Doyle先生は"ethics"と銘打つ授業の中で伝えたかったのでは、と思い至りました が、どうでしょう。"Responsibility to protect"の掲げる国際社会の責任の概念が、人道的罪の阻止のみではなく、国際人権や機会の平等の保障へも、幅広く浸透していくよう、いずれ理論の 構築が為されていく必要があるように思いました。
余談ですが、もうひとつDoyle先生の授業の中で印象に残っているの は、Wars and Massacresの回でもあります。その週は忙しくて予習できず、題名だけ見て「ルワンダかダルフールのことかしら~」なんて暢気に授業に出たところ、 最初から最後まで広島・長崎の原爆投下の是非が話し合われました。(「Wars and Massacres」と聞いて他人事と思っていた、己の認識不足と準備不足を、深く恥じました。)
20人近い受講生のうち、日本人は外交 官T君と私の2人のみ。ディスカッションになると、学生から次々に「ソ連の侵攻を防ぐには仕方なかった」「日本兵のアジアにおける女子供相手の蛮行を考え れば、日本人の女子供が原爆の対象となるのも当然の報いである」「結果オーライでしょう」という意見が旋風し、私が隅の方で一人わなわな震えていると、T が「本当にlast resortだったのか?」「2つ目の投下は本当に必要だったか?」などの意見を出しましたが、あまり反応はない。
Doyle 先生は最後に、「他に戦争を止めさせる手段があったとすれば何か」と問うていましたが、特に目立った答えはなく、逆に「原爆投下後も当時の戦時内閣の半分 以上は戦意を喪失していなかった」とたたみかけられました。戦後にできた国際人道法(いわゆる戦争法)は、日本やドイツの戦時行為を防げなかった反省をも とに作られたことも、後に別の授業で学びました。遅らばせながら、米国で国際関係学を学ぶ洗礼(もしくはSIPAの洗礼)を、浴びたようにも思います。 もっと理論武装できるだけの知識を、国内で学びたかったとも思いました。
さて、そんなDoyle先生も、来学期から1年、サバティカル へ。先生が秋学期に通常開講しているPKOの授業がとれないのは、残念でなりませんが、少なくともこの授業で、SIPAに来て心より良かったと思える偉大 な先生に出会えたことは、本当に幸運でした。勧めてくれた同級生方、そして授業後の消化不良解消に時々付き合ってくれたT君、どうも有難う。
そういえば、そろそろ小泉さんがガーナを訪問中の頃でしょうか。この8~9年、ぶーぶー文句を垂れてきた私にとって、ちょっと感慨深いものがあります。時代は変わるものよのう…。
ところで、もう一人の偉大なる先生、Madam Lindenmayerについては、また次回。
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Wednesday, May 3, 2006
Monday, March 13, 2006
63. AFS again... in NY.
昨晩、AFS日本協会・NY友の会懇親会に初めて出席してきた。日本協会東京事務 所でお世話になった職員の方をお迎えするというので、同世代との出会いでもあるかしらと期待していったら、団塊の世代のおじさま・おばさまばかりの中に、私一人ポツン と若輩者。JBIC審議役、代表部公使、民間企業の重役、在米法律家など、そうそうたるメンバーの中で、内心オロオロしながら、できるかぎり隅の方でお行儀よく大人しく、引きつった笑顔で座っていた。しかし、ちょうどいいところに若い女性が来た…と煽てられ、いい気になったところで、少しだけお手伝いする羽目になりそうである。
私が大学時代の4年間のほぼ全てを注ぎ込んだAFS日本協会・神奈川支部は、高校留学を通じた国際異文化理解教育を目的とする民間の財団法人(文部科学省下)である。日本では、先日、緒方貞子さん(Non "Returner")を招いて設立50周年を記念したばかりのようだったが、国際本部はNY にあり、1919年に活動が始まって以来、世界50カ国以上にオフィスを置いている。毎年、世界で11,000人、日本国内では400人以上の高校生(年間派遣生)を、欧米、中南米、ASEAN、北欧各国の高校へ派遣、同時に留学生を受入れている。日本国内に60以上の支部を持ち、ホスト・スクール、ホスト・ファミリーへのサポートなどをしながら、国際異文化理解教育の機会を、地域に提供している。AFS生は、言葉もわからない各国の高校と家庭に1年間放り込まれ、四苦八苦しながら言葉を覚え、異文化の壁を越えるAFS体験を通して、多様性と、異なる価値や尊厳の尊重、差異の尊重、寛容性を身につけてい く。(詳細はこちら。)
AFS (American Field Service:米野戦奉仕団)の歴史は、もともと第一次世界大戦に遡る。パリにいたアメリカ人が、傷病兵を救護輸送するAmerican Ambulance (Service)の活動を始めたことが発端。一次大戦終了後、戦後の反省のもと、異文化理解教育を目的に、仏大学生を米国に送る、AFSフェローシップ・プログラムを開始。第二次大戦が始まると、傷病兵輸送サービスの活動を再開。中東、北アフリカ、ヨーロッパ、インド、ビルマなどで救護輸送を行い、1945年には、AFS救護輸送車ドライバー約70名が、ナチ強制収容所からのユダヤ人開放の輸送に従事。第二次大戦後、国際奨学金制度を設立。11カ国から 52名の大学生、高校生が米に派遣され、日本からは1954年、第1期生8人が氷川丸で渡米。以来、派遣・受入国は50カ国以上に広がり、現在までに、延べ32万5千人、日本国内では約1万人以上の高校留学生を輩出してきた。(詳細は、英語)よく、世界各国におけるAFSボランティア組織の裾野の広がりを、赤十字と比べたりするが、もともとは発祥の経緯にもあるようだ。個人的には、最近、国際人道法(戦争法)を勉強しているので、すっかり忘れていたこうした経緯は興味深くもある。皆さんの記憶にあるかもしれないのは、10年以上前に米で起きた、日本人留学生射殺事件かもしれない。事件後、遺族が中心になって米銃社会への規制を働きかけ、米日AFS事務所やAFSボランティア・ネットワーク(ホスト・スクール、ホスト・ファミリー、リターニー、ボランティア)もサポートした。
そうして派遣されたAFSリターニー(Returner: 留学経験者)は、最近は、日本国内でも、外交畑をはじめとし、政界、財界で、随分と活躍しているようだ。名簿については、悪用を恐れ、一切公表していないので、その全容は知れない。私自身は、大学時代ボランティアとしてあれだけの時間と精力をAFSに費やしたというのに、リターニーの現在のことを、あまり意識したこともなかったので、先日の懇親会まで、大御所がごろごろいることなど、ほどんど知らなかったので驚いてしまった。懇親会でも、だいぶ話題になったのが、S外務副大臣、I元軍縮大使(少子化担当大臣)、A広島市長をはじめ、各国大使。 (3月初めの国際本部代表訪日記事を 参照のこと。)NY周辺でさえわかっているだけで、O国連大使、T公使、N放送局F米総局長、A新聞米総局長ほか、上記前出メンバー。私の周りでも、東ティモールでもお世話になったUNICEFのU東京代表をはじめ、国連職員の中にも何人かAFSリターニーやボランティアがいる。時代の違いもあるだろうが、改めてみると、高校時におけるAFS留学は多くの人材を国内外に輩出しており、その教育的効果は計り知れないものがあるようだ。AFSが他の数ある留学プログラムや国際交流プログラムと圧倒的に異なるのは、その体験を、多様性の尊重と差異への寛容の精神、平和の追求、という国際社会の原則的価値に汎用させる、徹底したオリエンテーション(出発前・留学中・帰国後)と丁寧なサポートシステムによる教育的要素だと思う。それらを全てボランティアで回し、特定の宗教も政党も企業のバックもなく、純粋に、色をつけないようにやっているのだから、運営事務局はかなり大変である。
ここ数ヶ月間、SIPA同級生らと交わした、ODA議論、移民議論、難民議論、国内における「外国人問題」、中国との関係悪化に伴うナショナリズムの高揚に対する議論などを繰り返すにつけ、国内 における国際理解教育(異文化理解教育・開発教育の両方)が如何に大切かを思い知らされる。そういう意味で、AFSの使命と 役割の果たす効果は大きい。学生ボランティアをしていた大学生の頃は、ぼんやりとしか理解していなかったが、紛争解決や平和構築、和解の現場を見てのち勉強している今、改めて、異なる価値感や尊厳の尊重、寛容の精神が、平和な社会を実現するという、言葉の重みを痛感する。東京では最近、国内「外国人問題」 について、IOM(国際移民機関)を招いたシンポジウムが、 開かれたようである。前にも議論したが、移民や難民を受け入れるだけでなく、外国人観光客や海外投資を呼び寄せるには、日本社会も異文化を尊重する社会へと変容する必要があると思う。また、外相がAsia Wall Street Jornal に最近掲載した"Japan Welcomes China's Democratic Future"と題する意見記事も、 大変興味深かった。外相のいうように、日中の高校生数百人が、近い将来、交換留学をしあい、ホーム・ステイをする、そんな未来が本当にやって来るのだろうか、と思ってしまうほど、現状は悲観的でさえある。が、こういうのは、国内における地道な機会の提供で、時代と共にいずれ変わっていくものでもあるとも思 う。その意味で、AFSの役割は、改めて大きい。
興味深かったのは、今回の懇親会で、10期~14期の皆さんが、AFS日本支部を支えた大学生ボランティアだった頃の話に、華が咲いたときである。当時は、学生闘争の時代だったそうで、リターニー・学生ボランティアは、体制派と反体制派に分かれ、出国前オリエンテーション中に、新橋のビルの元で揉みあいになったり、羽田空港でビラが撒かれたりしたそうだ。あの時代に、米国に高校生を送ることが、センシティブだったのは想像に難くない。当時大学生ボランティアだった、Iさん(少子化担当大臣)やF元キャスター(N放送局米総局長)も、反体制派リターニーに潰されかかった日本事務局を守り、財団に申請する手続きをとるため、虎ノ門で一緒に奔走していた、という話を聞いたときは、にわかに信じがたかった。他には、今でもミャンマーからの留学生には政府から監視員がつくこと、中国からの留学生が帰国直前に帰りたくないと日本国内で逃走してしまった話など、様々なことが話題に出た。 ASEAN交流などの目的で留学生の数を増やすのは簡単だが、欧米ではなくASEANからの留学生を1年間預かってくれるホスト・ファミリーを日本で探すのは、容易ではない仕事だとも、話していた。
私自身は、高校生のとき、AFS留学から帰国した同級生に、御殿場で行われる5日間のサマー・キャンプに 誘われたのがきっかけだった。両親の許可を得て、お小遣いをはたいて参加。欧米の学生に会うのを楽しみにしていくと、そこには多くの中南米やアジアの高校生たちがいて驚いた。グループ・ワークを通して、モンゴルとタイからの留学生と仲良くなり、言葉や人種、文化の違いの壁を超えるのが楽しくて、将来は国際 関係の勉強をしようという動機にもなった。大学生になってから、AFSがキャンプ・スタッフを募集するというので、学生ボランティアに参加。御殿場でのイ ンターナショナル・サマー・キャンプの企画を中心に、各国留学生の受入プログラムのオリエンテーションや、神奈川支部の交流プログラムを、手伝った。毎日 のように新橋・虎ノ門の事務所に通い、夜中まで議論しあい、仲間と費やした濃密な時間は、いい思い出だ。
当時の大学生ボランティアの仲間は、高校時代、AFSで留学したメンバーが中心だった。デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、メキシコ、コスタリカ、ベネズエラ、アメリカ、オーストラ リア、マレーシア、タイ…、帰国後は、日本社会への再適応と大学受験に苦しみながらも、強烈で特殊な体験をもとに自分の道を切り開いていっていた、当時の仲間から受けた刺激は大きい。私自身も、大学で国際関係学を学ぶ傍ら、AFSのいう異文化理解教育の重要性に気付いていた。当時企画していた、たった5日間のサマー・キャンプでさえ、日本人高校生200人と受入留学生50人に、どういう国際異文化体験をしてもらうか、留学に行けない高校生のために国内でできることは何か、どのようなきっかけを掴んでもらうか、どんなメッセージを伝えるか、大学生ボランティア50人をどうトレーニングするか、ということを、毎晩のように当時の仲間と、虎ノ門の事務所で遅くまで議論した。あまりにも毎晩、虎ノ門から終電で帰り、長電話で話し合うので、家族からは勘当すれすれだった。
本業の学業そっちのけで、どっぷりと漬かったAFSボランティアでの数年に疲れきり、また国際開発を勉強していたのでフィールドへ行ってみたい、私もAFSのような異文化体験をしたい、などなどの理由が重なって、大学4年生秋からCIEEという団体を通して、ガーナ大学に留学することに決心した。開発コンサル(三祐コンサルタンツ) やレストランなどのバイトを重ねてお金を貯め、アフリカに1年行きたいと家族に伝えると、母は泣いて反対したが、父は折れ、最終的には認めてもらえた。しかしその後、東ティモールでの仕事も、大学院留学でさえも、強い反対に合った。私が途上国に関わる仕事を選ぶことをようやく理解し、認めてくれるようになり、親との確執がなくなってきたのは、実はほんのこの1~2年のことである。だからこそ、異文化理解を日本社会に求める意識が、私は強いのかもしれない。 香港に仕事で3年住んでいた我が親や兄弟ですら、説得にこれだけの時間がかかったのだ。日本女性が、国際社会に出るまでには、場合によっては様々な障壁がある。男性には、そういった精神的労力は、想像もつかないかもしれない。
ガーナに留学していたときも、AFS事務所があると聞き、帰る前に一度だけ訪ねにいったことがあった。小さな事務所を訪れると、温かく迎え入れられ、それなりに嬉しかった。日本もいつか、ガーナを初めとしたアフリカの高校生との交換留学を始めればいいのに、と心から願う。昨年、ドイツを旅行したときには、一日だけ利用したケルンのユース・ホステルで、AFS大学生ボランティア相手のオリエンテーションに遭遇した。私も東京で同じようなことやってたよ~と、ひとしきり盛り上がった。ドイツでは、旧東ドイツ地域との交流や、東欧との交流にも、力を入れるらしい。
暫くは、AFS日本協会が現在3人しか受け入れていない中国の留学生を9人まで拡大するそうなので、それが遠い将来、どう発展するのかを、見届けたいと思う。ASEANプログラム同様、AFSが中国プログラムも広げていけたらいい、と願う。
ホスト・ファミリーは、年中、探しているようですので、ご関心のある方は、こちら。今年から、高校生だけでなく、大学生やシニア、子供も参加できるプログラムを拡大したようです(こちら)。まさかこの期に及んで、またAFSとの縁があるとは、夢にも思っていませんでしたが…。

(写真は、昨年、ドイツ・ケルンのユースホステルで遭遇したAFS学生ボランティア。)
私が大学時代の4年間のほぼ全てを注ぎ込んだAFS日本協会・神奈川支部は、高校留学を通じた国際異文化理解教育を目的とする民間の財団法人(文部科学省下)である。日本では、先日、緒方貞子さん(Non "Returner")を招いて設立50周年を記念したばかりのようだったが、国際本部はNY にあり、1919年に活動が始まって以来、世界50カ国以上にオフィスを置いている。毎年、世界で11,000人、日本国内では400人以上の高校生(年間派遣生)を、欧米、中南米、ASEAN、北欧各国の高校へ派遣、同時に留学生を受入れている。日本国内に60以上の支部を持ち、ホスト・スクール、ホスト・ファミリーへのサポートなどをしながら、国際異文化理解教育の機会を、地域に提供している。AFS生は、言葉もわからない各国の高校と家庭に1年間放り込まれ、四苦八苦しながら言葉を覚え、異文化の壁を越えるAFS体験を通して、多様性と、異なる価値や尊厳の尊重、差異の尊重、寛容性を身につけてい く。(詳細はこちら。)
AFS (American Field Service:米野戦奉仕団)の歴史は、もともと第一次世界大戦に遡る。パリにいたアメリカ人が、傷病兵を救護輸送するAmerican Ambulance (Service)の活動を始めたことが発端。一次大戦終了後、戦後の反省のもと、異文化理解教育を目的に、仏大学生を米国に送る、AFSフェローシップ・プログラムを開始。第二次大戦が始まると、傷病兵輸送サービスの活動を再開。中東、北アフリカ、ヨーロッパ、インド、ビルマなどで救護輸送を行い、1945年には、AFS救護輸送車ドライバー約70名が、ナチ強制収容所からのユダヤ人開放の輸送に従事。第二次大戦後、国際奨学金制度を設立。11カ国から 52名の大学生、高校生が米に派遣され、日本からは1954年、第1期生8人が氷川丸で渡米。以来、派遣・受入国は50カ国以上に広がり、現在までに、延べ32万5千人、日本国内では約1万人以上の高校留学生を輩出してきた。(詳細は、英語)よく、世界各国におけるAFSボランティア組織の裾野の広がりを、赤十字と比べたりするが、もともとは発祥の経緯にもあるようだ。個人的には、最近、国際人道法(戦争法)を勉強しているので、すっかり忘れていたこうした経緯は興味深くもある。皆さんの記憶にあるかもしれないのは、10年以上前に米で起きた、日本人留学生射殺事件かもしれない。事件後、遺族が中心になって米銃社会への規制を働きかけ、米日AFS事務所やAFSボランティア・ネットワーク(ホスト・スクール、ホスト・ファミリー、リターニー、ボランティア)もサポートした。
そうして派遣されたAFSリターニー(Returner: 留学経験者)は、最近は、日本国内でも、外交畑をはじめとし、政界、財界で、随分と活躍しているようだ。名簿については、悪用を恐れ、一切公表していないので、その全容は知れない。私自身は、大学時代ボランティアとしてあれだけの時間と精力をAFSに費やしたというのに、リターニーの現在のことを、あまり意識したこともなかったので、先日の懇親会まで、大御所がごろごろいることなど、ほどんど知らなかったので驚いてしまった。懇親会でも、だいぶ話題になったのが、S外務副大臣、I元軍縮大使(少子化担当大臣)、A広島市長をはじめ、各国大使。 (3月初めの国際本部代表訪日記事を 参照のこと。)NY周辺でさえわかっているだけで、O国連大使、T公使、N放送局F米総局長、A新聞米総局長ほか、上記前出メンバー。私の周りでも、東ティモールでもお世話になったUNICEFのU東京代表をはじめ、国連職員の中にも何人かAFSリターニーやボランティアがいる。時代の違いもあるだろうが、改めてみると、高校時におけるAFS留学は多くの人材を国内外に輩出しており、その教育的効果は計り知れないものがあるようだ。AFSが他の数ある留学プログラムや国際交流プログラムと圧倒的に異なるのは、その体験を、多様性の尊重と差異への寛容の精神、平和の追求、という国際社会の原則的価値に汎用させる、徹底したオリエンテーション(出発前・留学中・帰国後)と丁寧なサポートシステムによる教育的要素だと思う。それらを全てボランティアで回し、特定の宗教も政党も企業のバックもなく、純粋に、色をつけないようにやっているのだから、運営事務局はかなり大変である。
ここ数ヶ月間、SIPA同級生らと交わした、ODA議論、移民議論、難民議論、国内における「外国人問題」、中国との関係悪化に伴うナショナリズムの高揚に対する議論などを繰り返すにつけ、国内 における国際理解教育(異文化理解教育・開発教育の両方)が如何に大切かを思い知らされる。そういう意味で、AFSの使命と 役割の果たす効果は大きい。学生ボランティアをしていた大学生の頃は、ぼんやりとしか理解していなかったが、紛争解決や平和構築、和解の現場を見てのち勉強している今、改めて、異なる価値感や尊厳の尊重、寛容の精神が、平和な社会を実現するという、言葉の重みを痛感する。東京では最近、国内「外国人問題」 について、IOM(国際移民機関)を招いたシンポジウムが、 開かれたようである。前にも議論したが、移民や難民を受け入れるだけでなく、外国人観光客や海外投資を呼び寄せるには、日本社会も異文化を尊重する社会へと変容する必要があると思う。また、外相がAsia Wall Street Jornal に最近掲載した"Japan Welcomes China's Democratic Future"と題する意見記事も、 大変興味深かった。外相のいうように、日中の高校生数百人が、近い将来、交換留学をしあい、ホーム・ステイをする、そんな未来が本当にやって来るのだろうか、と思ってしまうほど、現状は悲観的でさえある。が、こういうのは、国内における地道な機会の提供で、時代と共にいずれ変わっていくものでもあるとも思 う。その意味で、AFSの役割は、改めて大きい。
興味深かったのは、今回の懇親会で、10期~14期の皆さんが、AFS日本支部を支えた大学生ボランティアだった頃の話に、華が咲いたときである。当時は、学生闘争の時代だったそうで、リターニー・学生ボランティアは、体制派と反体制派に分かれ、出国前オリエンテーション中に、新橋のビルの元で揉みあいになったり、羽田空港でビラが撒かれたりしたそうだ。あの時代に、米国に高校生を送ることが、センシティブだったのは想像に難くない。当時大学生ボランティアだった、Iさん(少子化担当大臣)やF元キャスター(N放送局米総局長)も、反体制派リターニーに潰されかかった日本事務局を守り、財団に申請する手続きをとるため、虎ノ門で一緒に奔走していた、という話を聞いたときは、にわかに信じがたかった。他には、今でもミャンマーからの留学生には政府から監視員がつくこと、中国からの留学生が帰国直前に帰りたくないと日本国内で逃走してしまった話など、様々なことが話題に出た。 ASEAN交流などの目的で留学生の数を増やすのは簡単だが、欧米ではなくASEANからの留学生を1年間預かってくれるホスト・ファミリーを日本で探すのは、容易ではない仕事だとも、話していた。
私自身は、高校生のとき、AFS留学から帰国した同級生に、御殿場で行われる5日間のサマー・キャンプに 誘われたのがきっかけだった。両親の許可を得て、お小遣いをはたいて参加。欧米の学生に会うのを楽しみにしていくと、そこには多くの中南米やアジアの高校生たちがいて驚いた。グループ・ワークを通して、モンゴルとタイからの留学生と仲良くなり、言葉や人種、文化の違いの壁を超えるのが楽しくて、将来は国際 関係の勉強をしようという動機にもなった。大学生になってから、AFSがキャンプ・スタッフを募集するというので、学生ボランティアに参加。御殿場でのイ ンターナショナル・サマー・キャンプの企画を中心に、各国留学生の受入プログラムのオリエンテーションや、神奈川支部の交流プログラムを、手伝った。毎日 のように新橋・虎ノ門の事務所に通い、夜中まで議論しあい、仲間と費やした濃密な時間は、いい思い出だ。
当時の大学生ボランティアの仲間は、高校時代、AFSで留学したメンバーが中心だった。デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、メキシコ、コスタリカ、ベネズエラ、アメリカ、オーストラ リア、マレーシア、タイ…、帰国後は、日本社会への再適応と大学受験に苦しみながらも、強烈で特殊な体験をもとに自分の道を切り開いていっていた、当時の仲間から受けた刺激は大きい。私自身も、大学で国際関係学を学ぶ傍ら、AFSのいう異文化理解教育の重要性に気付いていた。当時企画していた、たった5日間のサマー・キャンプでさえ、日本人高校生200人と受入留学生50人に、どういう国際異文化体験をしてもらうか、留学に行けない高校生のために国内でできることは何か、どのようなきっかけを掴んでもらうか、どんなメッセージを伝えるか、大学生ボランティア50人をどうトレーニングするか、ということを、毎晩のように当時の仲間と、虎ノ門の事務所で遅くまで議論した。あまりにも毎晩、虎ノ門から終電で帰り、長電話で話し合うので、家族からは勘当すれすれだった。
本業の学業そっちのけで、どっぷりと漬かったAFSボランティアでの数年に疲れきり、また国際開発を勉強していたのでフィールドへ行ってみたい、私もAFSのような異文化体験をしたい、などなどの理由が重なって、大学4年生秋からCIEEという団体を通して、ガーナ大学に留学することに決心した。開発コンサル(三祐コンサルタンツ) やレストランなどのバイトを重ねてお金を貯め、アフリカに1年行きたいと家族に伝えると、母は泣いて反対したが、父は折れ、最終的には認めてもらえた。しかしその後、東ティモールでの仕事も、大学院留学でさえも、強い反対に合った。私が途上国に関わる仕事を選ぶことをようやく理解し、認めてくれるようになり、親との確執がなくなってきたのは、実はほんのこの1~2年のことである。だからこそ、異文化理解を日本社会に求める意識が、私は強いのかもしれない。 香港に仕事で3年住んでいた我が親や兄弟ですら、説得にこれだけの時間がかかったのだ。日本女性が、国際社会に出るまでには、場合によっては様々な障壁がある。男性には、そういった精神的労力は、想像もつかないかもしれない。
ガーナに留学していたときも、AFS事務所があると聞き、帰る前に一度だけ訪ねにいったことがあった。小さな事務所を訪れると、温かく迎え入れられ、それなりに嬉しかった。日本もいつか、ガーナを初めとしたアフリカの高校生との交換留学を始めればいいのに、と心から願う。昨年、ドイツを旅行したときには、一日だけ利用したケルンのユース・ホステルで、AFS大学生ボランティア相手のオリエンテーションに遭遇した。私も東京で同じようなことやってたよ~と、ひとしきり盛り上がった。ドイツでは、旧東ドイツ地域との交流や、東欧との交流にも、力を入れるらしい。
暫くは、AFS日本協会が現在3人しか受け入れていない中国の留学生を9人まで拡大するそうなので、それが遠い将来、どう発展するのかを、見届けたいと思う。ASEANプログラム同様、AFSが中国プログラムも広げていけたらいい、と願う。
ホスト・ファミリーは、年中、探しているようですので、ご関心のある方は、こちら。今年から、高校生だけでなく、大学生やシニア、子供も参加できるプログラムを拡大したようです(こちら)。まさかこの期に及んで、またAFSとの縁があるとは、夢にも思っていませんでしたが…。

(写真は、昨年、ドイツ・ケルンのユースホステルで遭遇したAFS学生ボランティア。)
Sunday, March 5, 2006
61. Conflict and Development
先日、国連フォーラムで、たまたま今、私が勉強していることについての勉強会があり、メーリング・リスト宛てに報告を書く機会がありました。ブログ用に少し訂正したものを、下記に引用しておきます。こんなことを勉強しています、のご報告がてら。
尚、「国連フォーラム」というのは、国連を中心とした情報・意見交換を目的とするフォーラムで、私も幹事を務めています。メーリング・リストを中心に、NYでの勉強会や、 フィールドからのレポートなども行っています。(今後は東京での勉強会も企画中のよう。)幹事会では、国連邦人職員会や外務省国連代表部の方々のリーダー シップのもと、我々コロンビア大(SIPA)やニューヨーク大(NYU)の学生が、運営のお手伝いをしています。ニューヨーク・ワシントン・ジュネーブ・ ロンドン・バングラディッシュ・東京を跨いで、日々やりとりし、立ち上げから約1年ちょっとの現在、メーリング・リスト参加者は約700人ほどになったよ うです。主に、国連邦人職員、外務省・JICA関係者、学生・NGO・メディア関係者などが多いようですが、MLですのでご関心があればどなたでも登録で きます。もし宜しければ、お気軽にご参加くださいな。(登録はこちらから)また、ワシントンDC開発フォーラムの姉妹版でもあるので、ご関心のある方は、そちらもご参考にされてみてください。
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先日、世界銀行NY事務所にて、社会開発局 紛争予防・復興支援ユニットのK氏による、「紛争と開発」と題する勉強会が開催されました。大変興味深い勉強会でしたので、皆さまにご報告いたします。
今回の勉強会では初めに、講師から用意された45分の世銀作ドキュメンタリー(英語)「Nation Zero」を見た後に、30分ほどお話いただき、質疑応答に移りました。このドキュメンタリーは、昨年5月に世銀から出された報告書「戦乱下の罠(Breaking the Conflict Trap: Civil War and Development Policy)」の日本語版作成に合わせ、日本信託基金で作られたもので、つい先々週、BBCでも放送されたそうです。
ド キュメンタリーは、紛争と開発の相関関係について、アフガニスタン、コロンビア、ボスニア、ルワンダの事例を取り上げてました。各地の紛争の映像を織り交 ぜながら、貧困との相関関係について、Paul Collier氏(Oxford大学教授・世銀上級アドバイザー)、Jeffery Sachs氏(Columbia大学教授・MDGs国連特別アドバイザー)、明石康氏などのインタビューをはさんで分析し、その後、それぞれのケースごと に、世銀の取り組みが紹介されていました。
衝撃的で迫力のある映像が効果的に使われていたのが印象的で、上映後は、出席者の多くから溜息 が漏れ、改めて私たちがフィールドから離れて取り組んでいる問題の深刻さを、見せつけられました。こうした世界の紛争と貧困の様子は、日本をはじめとし た、米、英などドナー諸国に住む一般納税者には、なかなか実感・認識しづらいことです。今回の上映では、貧困や紛争などの問題について、映像が視聴者に訴 える強さを、改めて認識させられました。
一方で、援助機関とドナー政府は、ODA額の引き上げを実施/要求するだけでなく、一般納税者に 対しアカウンタビリティーを積極的に果たしていくべきだとも、思いました。プログラムの実施を報告するだけでなく、取り組みの意図や問題意識を、映像を 使って問うことの重要性も感じました。多くの報告書やパンフレットが援助機関から出版されますが、それらに関心をもち理解する納税者は一体どれほどあるの か、以前、実際に自分で作っていて疑問に思ったことがあります。有名人や芸能人を途上国につれた広報目的のテレビ番組はいくつかありますが、今回のドキュ メンタリーのように、途上国の紛争や貧困と先進国の生活との直接の関係を視聴者に問い、問題意識を養うことも大切だと思います。教育チャンネルの中で開発 教育の番組を流すとか、ドキュメンタリー番組を作るなど、異なる対象者ごとに少しでも多くの途上国の現状と先進国の生活の乖離と関係を問う映像が、日本で も放送されるべきだと、常々個人的に思います。この点について、国連フォーラムやメディアの皆さまの率直なご意見も、お聞かせいただければ、光栄です。
さ て、勉強会では上映後に講師から「紛争と開発」の関係と世銀の取り組みについて、解説がありました。世界の最貧国20カ国のうち、80%以上が何らかの紛 争と暴力を経験しているだけでなく、紛争を解決した国の50%が、5年以内にまた紛争状態に戻ってしまう。冷戦後の90年代に各地で紛争が相次ぎ、現在で は、世銀貸付対象国184カ国のうち約1/4が何らかの形で紛争に関係している。こういった背景から、世銀も紛争時におけるDevelopmentの役割 を認識しなおし、ユニットを設立して、研究やアセスメント、国連との協調などを、この10年で進めてきた。東ティモール、アフガニスタン、イラク、リベリ ア、ハイチ、スーダン…と、少しずつlessons learned を生かしながら現場でのプログラム実施と援助協調の経験も積み上げてきている、…などなど。先日、ようやく平和構築委員会も設立され、今後、世銀がどのよ うに国連や他の機関と協調して、この分野で役割を果たしていくか、大変注目されているところであると思います。
質疑応答になると、出席者 からは主に、紛争と貧困の関係について質問がありました。貧困を解決するだけでは紛争や暴力は解決されないのでは; 絶対的貧困ではなく、相対的貧困のあ る社会、マージナライズされた格差、不平等が存在する社会で、選挙や何らかの事件をtriggerとして、紛争が始まることが多い; P5 (Permanent 5: 安保理常任理事国)の国々から貧困国へ流れる武器輸出やビデオの中でも出てきた麻薬やダイヤモンドなどの紛争資金源の問題をまず解決すべきである、などの 意見が相次ぎました。
私も、個人的には、たまたまConflict Assessmentという授業を大学院でとっている傍ら、今回の勉強会に参加したので、大変興味深い議論を伺う機会となりました。授業の中では、世銀の アセスメントだけでなく、DFID、USAID、Clingendael 、UNDPなど、様々な援助機関のアセスメントを比較してきましたが、世銀を含む幾つかの援助機関では、貧困を計る経済指標よりも、社会格差や不平等、 Justice Sector(司法)やSecurity Sector(軍・警察)の発達度、紛争アクターの国内外のリソースを測る指標などが、アセスメントの中に、多く取り上げられています。(JICAにもア セスメントがあると伺いましたが、どのようなアプローチをとっていらっしゃるのでしょうか。)紛争と開発については、貧困だけでなく、ガバナンスと紛争の 関係性も注視すべきだと思います。
また、質疑応答にもありましたが、昨年、世銀とUNDP、UNDGのために開発されたPost- Conflit Needs Assessment(PCNA)が、実際にどのように使われているのか、Conflict AssessmentとNeeds Assessmentとの関係、DPKOのオペレーションとはどのように刷り合わせているのか、今後スーダンやハイチ、コンゴで、どのように世銀と国連が 協調していくのか、具体的にconfrontしている点は何か…などなど、今後も議論を聞かせていただければ幸いです。
最後に、一番印象 に残ったのは、ビデオで出てきたボスニア人のインタビューに対して講師が触れられてた点でした。「あのボスニア人の男性は、『最初に一人、身内が殺された ときはショックだったが、その後次々に殺されて次第に慣れてなんとも思わなくなった』と言っているが、本当は今でも心の傷は深いはず。」 「Psycosocial outputとしての紛争や暴力という点は、これまでneglectされてきた分、triggerにばかり注目がいき、何が根本原因となっているかわかっ ていなかったことも多かった」と、おっしゃっていました。
深い悲しみ(grievances)と欲(greeds)が、憎悪や暴力、紛争 の形になるという研究もあります。ルワンダのガチャチャ裁判や、東ティモール・南アでの真実・受容・和解委員会では、真実を受け止め、許すという一連の心 の過程を通して、国民和解を推進していくプログラムが広く実施されてきました。DDRや4Rsなどの再統合のプログラムと同時に、忘れ去られがちな Truth & ReconciliationやTransitional justice、Psycosocial の問題に焦点を充てたプログラムも、両輪として進行していくことが大切だと思います。
今年の世銀の年次レポートのテーマは、 「Youth」だそうです。児童兵や若い兵士たちの多くは、失業や学校に行けないことで、食べていくために武器を持つことも多いようです。今後も、紛争と 開発、平和構築分野における、世銀の活躍・国連との援助協調に、注目していきたいと思います。
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尚、「国連フォーラム」というのは、国連を中心とした情報・意見交換を目的とするフォーラムで、私も幹事を務めています。メーリング・リストを中心に、NYでの勉強会や、 フィールドからのレポートなども行っています。(今後は東京での勉強会も企画中のよう。)幹事会では、国連邦人職員会や外務省国連代表部の方々のリーダー シップのもと、我々コロンビア大(SIPA)やニューヨーク大(NYU)の学生が、運営のお手伝いをしています。ニューヨーク・ワシントン・ジュネーブ・ ロンドン・バングラディッシュ・東京を跨いで、日々やりとりし、立ち上げから約1年ちょっとの現在、メーリング・リスト参加者は約700人ほどになったよ うです。主に、国連邦人職員、外務省・JICA関係者、学生・NGO・メディア関係者などが多いようですが、MLですのでご関心があればどなたでも登録で きます。もし宜しければ、お気軽にご参加くださいな。(登録はこちらから)また、ワシントンDC開発フォーラムの姉妹版でもあるので、ご関心のある方は、そちらもご参考にされてみてください。
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先日、世界銀行NY事務所にて、社会開発局 紛争予防・復興支援ユニットのK氏による、「紛争と開発」と題する勉強会が開催されました。大変興味深い勉強会でしたので、皆さまにご報告いたします。
今回の勉強会では初めに、講師から用意された45分の世銀作ドキュメンタリー(英語)「Nation Zero」を見た後に、30分ほどお話いただき、質疑応答に移りました。このドキュメンタリーは、昨年5月に世銀から出された報告書「戦乱下の罠(Breaking the Conflict Trap: Civil War and Development Policy)」の日本語版作成に合わせ、日本信託基金で作られたもので、つい先々週、BBCでも放送されたそうです。
ド キュメンタリーは、紛争と開発の相関関係について、アフガニスタン、コロンビア、ボスニア、ルワンダの事例を取り上げてました。各地の紛争の映像を織り交 ぜながら、貧困との相関関係について、Paul Collier氏(Oxford大学教授・世銀上級アドバイザー)、Jeffery Sachs氏(Columbia大学教授・MDGs国連特別アドバイザー)、明石康氏などのインタビューをはさんで分析し、その後、それぞれのケースごと に、世銀の取り組みが紹介されていました。
衝撃的で迫力のある映像が効果的に使われていたのが印象的で、上映後は、出席者の多くから溜息 が漏れ、改めて私たちがフィールドから離れて取り組んでいる問題の深刻さを、見せつけられました。こうした世界の紛争と貧困の様子は、日本をはじめとし た、米、英などドナー諸国に住む一般納税者には、なかなか実感・認識しづらいことです。今回の上映では、貧困や紛争などの問題について、映像が視聴者に訴 える強さを、改めて認識させられました。
一方で、援助機関とドナー政府は、ODA額の引き上げを実施/要求するだけでなく、一般納税者に 対しアカウンタビリティーを積極的に果たしていくべきだとも、思いました。プログラムの実施を報告するだけでなく、取り組みの意図や問題意識を、映像を 使って問うことの重要性も感じました。多くの報告書やパンフレットが援助機関から出版されますが、それらに関心をもち理解する納税者は一体どれほどあるの か、以前、実際に自分で作っていて疑問に思ったことがあります。有名人や芸能人を途上国につれた広報目的のテレビ番組はいくつかありますが、今回のドキュ メンタリーのように、途上国の紛争や貧困と先進国の生活との直接の関係を視聴者に問い、問題意識を養うことも大切だと思います。教育チャンネルの中で開発 教育の番組を流すとか、ドキュメンタリー番組を作るなど、異なる対象者ごとに少しでも多くの途上国の現状と先進国の生活の乖離と関係を問う映像が、日本で も放送されるべきだと、常々個人的に思います。この点について、国連フォーラムやメディアの皆さまの率直なご意見も、お聞かせいただければ、光栄です。
さ て、勉強会では上映後に講師から「紛争と開発」の関係と世銀の取り組みについて、解説がありました。世界の最貧国20カ国のうち、80%以上が何らかの紛 争と暴力を経験しているだけでなく、紛争を解決した国の50%が、5年以内にまた紛争状態に戻ってしまう。冷戦後の90年代に各地で紛争が相次ぎ、現在で は、世銀貸付対象国184カ国のうち約1/4が何らかの形で紛争に関係している。こういった背景から、世銀も紛争時におけるDevelopmentの役割 を認識しなおし、ユニットを設立して、研究やアセスメント、国連との協調などを、この10年で進めてきた。東ティモール、アフガニスタン、イラク、リベリ ア、ハイチ、スーダン…と、少しずつlessons learned を生かしながら現場でのプログラム実施と援助協調の経験も積み上げてきている、…などなど。先日、ようやく平和構築委員会も設立され、今後、世銀がどのよ うに国連や他の機関と協調して、この分野で役割を果たしていくか、大変注目されているところであると思います。
質疑応答になると、出席者 からは主に、紛争と貧困の関係について質問がありました。貧困を解決するだけでは紛争や暴力は解決されないのでは; 絶対的貧困ではなく、相対的貧困のあ る社会、マージナライズされた格差、不平等が存在する社会で、選挙や何らかの事件をtriggerとして、紛争が始まることが多い; P5 (Permanent 5: 安保理常任理事国)の国々から貧困国へ流れる武器輸出やビデオの中でも出てきた麻薬やダイヤモンドなどの紛争資金源の問題をまず解決すべきである、などの 意見が相次ぎました。
私も、個人的には、たまたまConflict Assessmentという授業を大学院でとっている傍ら、今回の勉強会に参加したので、大変興味深い議論を伺う機会となりました。授業の中では、世銀の アセスメントだけでなく、DFID、USAID、Clingendael 、UNDPなど、様々な援助機関のアセスメントを比較してきましたが、世銀を含む幾つかの援助機関では、貧困を計る経済指標よりも、社会格差や不平等、 Justice Sector(司法)やSecurity Sector(軍・警察)の発達度、紛争アクターの国内外のリソースを測る指標などが、アセスメントの中に、多く取り上げられています。(JICAにもア セスメントがあると伺いましたが、どのようなアプローチをとっていらっしゃるのでしょうか。)紛争と開発については、貧困だけでなく、ガバナンスと紛争の 関係性も注視すべきだと思います。
また、質疑応答にもありましたが、昨年、世銀とUNDP、UNDGのために開発されたPost- Conflit Needs Assessment(PCNA)が、実際にどのように使われているのか、Conflict AssessmentとNeeds Assessmentとの関係、DPKOのオペレーションとはどのように刷り合わせているのか、今後スーダンやハイチ、コンゴで、どのように世銀と国連が 協調していくのか、具体的にconfrontしている点は何か…などなど、今後も議論を聞かせていただければ幸いです。
最後に、一番印象 に残ったのは、ビデオで出てきたボスニア人のインタビューに対して講師が触れられてた点でした。「あのボスニア人の男性は、『最初に一人、身内が殺された ときはショックだったが、その後次々に殺されて次第に慣れてなんとも思わなくなった』と言っているが、本当は今でも心の傷は深いはず。」 「Psycosocial outputとしての紛争や暴力という点は、これまでneglectされてきた分、triggerにばかり注目がいき、何が根本原因となっているかわかっ ていなかったことも多かった」と、おっしゃっていました。
深い悲しみ(grievances)と欲(greeds)が、憎悪や暴力、紛争 の形になるという研究もあります。ルワンダのガチャチャ裁判や、東ティモール・南アでの真実・受容・和解委員会では、真実を受け止め、許すという一連の心 の過程を通して、国民和解を推進していくプログラムが広く実施されてきました。DDRや4Rsなどの再統合のプログラムと同時に、忘れ去られがちな Truth & ReconciliationやTransitional justice、Psycosocial の問題に焦点を充てたプログラムも、両輪として進行していくことが大切だと思います。
今年の世銀の年次レポートのテーマは、 「Youth」だそうです。児童兵や若い兵士たちの多くは、失業や学校に行けないことで、食べていくために武器を持つことも多いようです。今後も、紛争と 開発、平和構築分野における、世銀の活躍・国連との援助協調に、注目していきたいと思います。
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