Sunday, July 31, 2005

35. Summer Course

先週の月曜日から、ALPのsummer language courseが始まった。SIPAの新入生用に作られた特別コースで4週間、full time。宿題の量も多く、新しい人たちと会ったりして、結構疲れた。体力、体力。

2クラス合わせた全生徒数は、30人くらい。当然、東アジアからの学生が多い。30人中、半数が日本人(うち8割が省庁出向の皆さん)で、中国と韓国から数人ずつ。そのほか、カザフスタンから国費留学生が3人、ラオス、ブラジル、メキシコ、コロンビアなどの学生と勉強している。春入学生は私一人なので、今は新入生から、学校や授業、生活について、質問攻めに遭う毎日。

最初の週は、globalizationとtradeについて。私のクラスは、経済系のバックグラウンドの生徒が多く、初めからついていくのに一苦労。つくづく大学時代、経済(と法律)を勉強していればよかったと、また後悔。私の大学時代は、アジア・アフリカ研究で、政治と社会と歴史と人類学を、開発・発展の視点から一夜漬けした程度。哀れに思ったのか、親切な日本人のクラスメイトが、日本語の経済の教科書を貸してくれた。

来学期の経済と統計の授業の前に、微積の復習もしないといけない。高校時代の、悪夢が蘇ってくる。試験前日まで本を開いた形跡さえもなかった、あのまっさらな微積の教科書と問題集、追試と恐るべし成績…。そして二度と後ろを振り返ることもなく、真っ直ぐに私立文系へと進んだ。うーん…。今頃になって、こんな形でツケがまわってくる破目になるとは…。正に悪夢のブーメラン。何してたんだろう…。(遊んでた。)

それにしても、こんな親切な準備コースが、春入学生にも用意されていたら、先学期ももう少し楽だったろうに、と思う。仕事を辞めてすぐに授業が始まったので、数年ぶりの勉強モードに自分をもっていくのでさえ、結構時間がかかった。昨年は日本に一年いてしまったので、ただでさえ乏しい語学感覚を復活させるのにも、時間がかかった。レポートを書くときは、泣いた。

もっというならば、こんな親切な勉強を、UNDPで働く前にできていたら、どんなにか周りも私も苦しまずに済んだか、と思う。順番が逆だ。幸か不幸か、何故か私の場合は、こういう巡り会わせの人生になってしまった。経験だけはあちこち無駄に多く積んだので、あとはとにもかくにも今まで逃げてきた苦手課題の克服か。

先学期からの日本人の同級生たちもほとんどインターンや一時帰国に出払っており、10時~5時までのこの語学授業に加え、おしゃべり好きのルームメイトのベアと、言葉を鍛えるにはいい環境が揃ってる。ジョギングも自炊も好調なので、この調子でこの夏のagendaをなんとかクリアしていこうと思う。

と、いちいちこんなところで口に出して言わないと、実行できないところが情けない。とほほ。要するに、気合を入れないと進まない、勉強に対する苦手意識は今も変わらず、ツケの後払い人生なのだ。ということで、8月下旬の誕生日までは、暫く真面目に勉強に集中し、少しはツケを祓い収めて、きれいさっぱりした30を迎えられるようにしたいものだ。

明日から、もう8月。
世界中・日本中に散らばっている、それぞれの皆様へ。
よい夏をお過ごしください。

Sunday, July 17, 2005

33. White Peacock

結構疲れてきたので、そろそろ更新を休もうと思っていたら、…出会ってしまった。

家のすぐ隣にある教会、The Cathdral Church of St. John the Devineは、完成すると米(?)最大の教会となるという鳴り物で、毎日バスに乗った多くのツアー観光客が訪れる。それほど大きいようには見えないが、なにせ完成すれば、の話なので、まだ先のことのようだ。私の夢も完成すれば世界最大ですが、是非ツアーにいかがかと…。

隣にある小さな公園が、私は大好きでよく訪れる。中学生が、平和を祈願して作ったモニュメント、ガンジーやジョンレノン、動物などを型どったブロンズが、いくつも並んでいて、ひとつひとつを眺めているだけで飽きない。試験期間中やペーパーの時期、ここでぼーっとゾンビに佇む東洋人を見かけたら、それは私である。現実から逃避している場合ではないと、是非一声かけてくださると有難い。

今日もいつもどおり、セントラル・パークにジョギングに行って、Summerstageで催されていたNew Orleans Jazz(無料)を聞きに行った帰りに、何とはなしに公園へ立ち寄ると、なんと初めて念願の孔雀に会えた。しかも、白孔雀。幻~?いやいや。羽根は少し立てただけで、全開には広げてもらえなかったのが残念だったが、美しかった。ジョギング中なので、写真はない。

そう。ここの公園の奥には、孔雀が住んでいるという噂だった。いつも孔雀を一目見ようと、立ち寄っていたのだが、滅多に現れない。半年後にようやく念願叶った。ジョギングを始めてからか、最近は行いがよしとされたのか、音楽だけでなく、動物にもいろいろ出会えた。居残り勉強をする貧乏学生を、励ましてくれようという演出が憎い。蛍、アライグマ、白孔雀。都会の片隅に、ひっそりと生きている。

SIPAの皆様。学校帰りに、是非一度お立ち寄りを。http://www.summerstage.org/index1.aspx?BD=18222

Saturday, July 16, 2005

32. Origin

今回は、私の原点、中学高校の6年間を過ごした桜蔭と、私のコンプレックスについて、少し。どんな学校かと聞かれても、一度もうまく答えられた試しもなく、適当に誤魔化しつづけて、このまま生涯を乗り切ろうと思っていた。しかし度々、「お嬢学校」と呼ばれてしまうと、今度はどう反応していいかわからない。実際は、その優雅で華やかで瀟洒な響きとは、およそ懸け離れているからだ。いいように誤解してもらったまま逃げ切るつもりだったが、最近、良心の呵責に苛まれてきたので、一筆とることにした。母校と卒業生の名誉のため、最初に述べておくと、私はその中で、やる気もなく遊んでばかりいた、落ちこぼれだった。

中高六年一貫の私立の女子高で、一学年250人。文京区水道橋の高台にあり、毎朝、長い急勾配の坂道を登りきらないと、校舎に辿り着けない。「牛乳瓶の底を眼鏡にし、古臭い制服に長靴下と分厚い鞄、およそ世間の女子高生と呼ばれるものとは懸け離れた、宇宙人」…という、桜蔭生の古く硬く垢抜けないイメージを覆そうと、私たちもお洒落には気を使ったが、一言でいえば、地味な学校だ。控え目に言えば、学校も生徒も、質素で堅実で真面目。学費は安い。道徳のほか、礼法の授業があるのが特徴。数学教育に強い。卒業後は毎年約250人中、三分の一が東大、三分の一が医学部、残りがその他の国公私立大学に進学する。理系が多い。医療をはじめ、法曹、会計・税理などの資格系か、大学やメーカーでの研究の道に進む人が、多勢を占める。国連軍縮大使を務めた猪口邦子さん、UNHCRのキャンペーン・ガール?もした女優の菊谷怜、水守亜土などが、卒業生。最近も、何回かAERAで「桜蔭生のその後」と特集が組まれていたらしいが、しかし大方は、あまり表には出ず、地道にこつこつやっている卒業生が多いと聞く。個性としての校風が強いせいか、学生は、卒業後も長らく、愛校心(反校心)が強い。

勉強は厳しい。が、みな自分から進んで学ぶ。校則はそれほど厳しくない。みな言わないでもそれほど外れていかない。なので、私のようにやる気もなく遊んでばかりいれば、拾われることもなく、ただただ落ちこぼれていくだけだった。追試組は、毎回メンバーが決まっていた。半分位が運動部のいつもの面子だったので、それはそれは、法外に楽しいぬるま湯だった。今回は、○科目から追試のInvitationをもらった、と競い合っていた。 ...

通っているときは、早く狭い世界を抜け出して、桜蔭を知らない広い世間を見てみたかった。外に出て、世間に揉まれていくうちに、如何に、遠く離れた同級生たちが、類まれな仲間だったかを、思い知った。どれだけ私が教育を受ける機会を無駄にし、一度自分で貼ったレッテルと無意味なコンプレックスで自分を駄目にしていったか、にも気付いた。アジアやアフリカに行って、尚更そう身にしみた。

特に、ガーナ大学にいた頃だろうか。ぎっしりと学生で詰まった蒸暑い図書館や食堂にて、夜遅くまでランプの明かりで勉強する地元の学生たちに初めて会ったときには、頭が下がった。その頃ガーナでは、試験追込み期間にも、毎晩のように容赦なく、停電が続いた。毎度お馴染みの一夜漬けで済まそうとしていた私になど、堪ったものではない。電気が落ちると毎回、寮中・図書館中で、地元の学生の落胆の声が響く。しかし暫くすると、暗闇の中からぽつりぽつりとランプが灯り始め、みな勉強を再開させる。ちらちらゆらめく蝋燭やランプの明かりで、長い間本を読むのはつらい。しかも、赤道直下なので、日本の熱帯夜とは、比較にならない蒸し暑さだ。それでも変わらず、黙々と続ける学生たちの真剣な面差しは、ずっと私の頭に焼き付いている。

中高で勉強しなかったぶんのツケは、卒業後も現在に至るまで、だいぶ払ってきた。後悔先に立たず、というが、そのまんま。ま、後悔してからが勝負、とでも思いなおし、今更、頑張るしかない。幸か不幸か、凝縮したあの6年間で、知らずうちに叩き込まれた精神と培った仲間だけは、私の財産として残っている。卒業以来会っていなくても、12年ぶりの連絡になっても、何故かみな、時間を感じさせない。6年間で共に育んだ共通の素地がある。久しぶりに会っても、負けないでやってきているので、いつも励まされる。教育の機会に恵まれた分、何かしら社会に還元していきたいという気持ちが残っている。信頼・尊敬する友人に恵まれるというのは、運であってお金では買えない。姉妹みたいだ。

医療か研究、法曹の道に進む仲間が多い中、みな何故か結婚が早い。若くして、道が固まっている研究者組は、特に。一方、プライベートの時間がない女医組は、独身で頑張っている人も多い。仕事と体力のプレッシャーに潰されそうになりながらも、でも必死に負けないでいる。近くにいて、支えてあげられたらと思うが、なかなかそうもいかない。体に気をつけてほしい。かつて夢や志を語り合い、誓い合った証人同志、今は、卒業後にそれぞれの道で世間に磨かれる痛みを、無意識に共有しているのかもしれないとも思う。これからも切磋琢磨して一緒に生きていけたら、この上ない。 - みんな、こんな紹介で、どう?合ってるかしら? これからも、どうぞよろしくね。

Friday, July 15, 2005

31. For the next ten years...

そう、油断は禁物。私の辞書にはなかった言葉で、最近になっていろいろ学んだので、ちょっと使ってみたかった。

自炊の方も順調。時間もあるし、倹約家のBeaのおかげもあってか、帰ってきてから一度もレストランで外食をしていない。というのも、これまでは、特に何も気にせず、ごく普通に、キャンパスや家の傍のレストランで、好きな分だけ食べていた。(もしくは、好きな分しか食べてこなかった。)。日本に一時帰国した際、久しぶりに、家の体重計にのってみたら、ン十キロ代(3)だったので、さすがに焦った。 油断は禁物…。

そんな数字は久方見たことがない。特に、見た目が衰えたとも、疲れやすいとも、何も感じたこともなかった。まあ、今から考えてみれば、不摂生な学生生活に加え、ヨーロッパ旅行の長旅から帰って、次の日にすぐに引越しと大掃除してすぐまた、日本への長距離フライト、と疲れもあったのかもしれない。でも、しかし…。どたばたするときこそ、めんどくさがりの不摂生はよくないと、反省然り。

そして極めつけは、米帰国直前、ホロ酔い気分で、お財布をなくした。猛省。ここで学んだ、油断禁物。それだけでなく、その前後も、あちこちで諸々を置いてきてしまった。どたばたするときは、あっちこっちに気がいって、そういえばいつもこうなってしまう。油断大敵。でも今回は、あれこれ日本で買ってこようと思っていたものが、何一つ買えなくなってしまったので、無駄遣いせず、ちょうどよかったのだ。そうだそうだ。

そんな中、短かった東京での滞在では、久しぶりの美味しい和食と日本酒に舌鼓を打ちながら、親しい皆様とお会いできたことだけは、何よりの幸せでした。置いてきたり、無くしたりして、ぴーぴーしてる私を相手にしてくれて、本当にどうも有難う。この場を借りて、それぞれの方々に感謝申し上げます。

思った以上に、blogに目を通してくださっていることを知り、励みに思って、頻繁に更新してみました。自己嫌悪からも立ち直る間もなく、どたばたと日本を引き上げ、こちらでの新しい生活もすぐに始まり、いまだにカードやID、全8枚の再発行対応に追われ、御礼が今になりましたが、えー、これに懲りずに今後もお付き合いいただければ、幸いでございます…。 えー、油断は禁物とはいいますが…。

NYの学生生活だけではなく、あちこち歩き通した20代を総括したい、という気持ちも込めて綴り始めたblogでもありますが、一方で、次の新しい10年を迎え入れる前に、新しい目標を再設定したいとも考えていました。30代に突入する誕生日までには、まだ1ヶ月もあるけれども、なかなか緊張がやみません。(このまま、30を迎えてしまうのは、流石にイカン…、という緊張。) 変なの。皆さんはどうだったのかしら。 

 よく食べ、よく遊び、よく学ぶ。  (学ぶには、いろんな意味を込めて。)

今年の夏は、そして先の10年も、敢えて基本に返り、こんな調子で精進していく所存です。(ほんとに、こんな目標でいいのかな。) 同時に、香港で産まれた時から、10代・20代まで、私に様々なことを教えてくれた、アジア・アフリカへの愛情と志は、今も昔もこの先も、変わりません。

先日、旧友Nも話していた。やりたいことはいろいろあったけど、あと10年でできることといって考えたら、もうそんなに欲張りにはなれない。20代で学んだことの集大成を、30代には推敲させ完成させたい。私も、この10年で淡々と志を果たしていきたいと考えていたが、どう果たしていくかについては、もう少しいろいろと、突き詰めて考えてみなければいけない。

こんな私ですが、次の10年も、ご指導いただければ幸いです。どうぞ宜しくお願いいたします。

ではでは。 これにて、しばらく。

Thursday, July 14, 2005

30. NY Phil. @ Central Park

昨晩は、毎年恒例、Central ParkでのNY Phil.野外演奏。 (無料) 
それはそれは、先日のオーケストラとは、比べ物にならなかった。 - 観客総勢4万人!

会場のGreat Lawnまでは、うちからジョギングで三十分ほど。(とはいっても、途中よく歩くが。) 着くと、すごい人手。広い芝生は、座ったり寝転んだりする人で埋まっていた。ビジネス街の傍なので、家族連れだけでなく、会社を抜け出してきたスーツ姿のビジネスマンも結構いた。

私はステージに近い前の方に場所をとり、インターンの仕事帰りのルームメイトBeaと待ち合わせ。あまりに人が多かったので、SIPAの同級生たちとは一緒になれなかった。Beaは、NY生活も国連インターンも始めたばかりで、毎日興奮して帰ってくる。彼女は話好きだ。一度話し始めると、止まらない。今日もOCHAでの仕事の話を聞きながら、後は芝生の上にごろんとなって、音楽に聞き入った。

http://newyorkphilharmonic.org/summer05/

演奏後は、拍手が鳴りやまない。アンコールはあるのかなーと思っていると、真後ろで突然、花火がはじまった。セントラル・パークの森の上に聳え立つ、マンハッタン・ビル群の夜景の、更にその上に、花火の華がいくつも散る。先日の独立記念日のイーストリバーでの花火よりも、風情があった。New Yorkerは、毎夏こんな余興を楽しんでいるのか、と素朴に羨ましく思った。Tokyoも、隅田川花火だけではなく、都心でこういう音楽の余興もあったらみんな喜ぶだろうに。みんなタダだし。音楽好きの私には、ほんと有難い。

数ページにわたるsponcer listを見てみたら、上の方の高額者のところに、結構日本企業の名前が連なっていた。まあ日本だけではなくて、世界中の企業がスポンサーになっているのだが、こんなにたくさんお金を出せるのなら、せめて、東京のビジネス街でも、ストレスの多いサラリーマンやサラリーウーマン、家族連れのため、音楽家に演奏させてあげればいいのに、と思う。そんな難しいことではないだろうに。アフリカにも出せばいいのに。それより、こんなふうなsponcer listを、UNでは見たことがないが、企業のために作って頻繁に宣伝してあげればいいのに。

なんて、好き勝手なことを思いながら、大勢の帰り客を脇に、また家まで公園の中を走ったり歩いたりして帰ったら、今度は行き過ぎて、公園右端のハーレム入口まで出てしまった。 (と書くと、恐そうに聞こえるが、うちのご近所である。) …うーん、昨日も同じ道走ってたのに。 うーん、油断は禁物である…。

Wednesday, July 13, 2005

28. Jogging to Summer Concerts

セントラル・パークでは、夏に無料で様々なコンサートサマー・ステージなどの催しをしている。
無料なので、貧乏学生には有難い。毎日のようにいろいろあるのが嬉しい。こんな優雅な生活を送られるのも、あと二週間の命なので、今のうち楽しんでおこうと思う。

秋からは、恐怖のMPA core course4科目をとる。何故MPAにしたのだろうと、後悔するのが目に見えている。生きて正常に年を越せるか、不安である。もうすぐ始まるサマーの語学のクラスも、full timeであるようなので、これでコンプレックスからも解放されたいところだ。

ということで、昨晩はセントラル・パークで、今年百周年を迎えるNaumburg Orchestraの演奏があったので、ジョギングがてら、会場まで走りに行った。無料のため、とってもCrazyでUniqueな曲目を選んでいたようで、一風変わっていたが、とても良かった!メキシコやアルゼンチンで20世紀初期に作られた曲とのこと。特に、ソリストがよかった。

詳しくはwebsiteを参照してほしいが、会場もこのオーケストラのために作られたもので、小さいが音響も良かった。野外なので、演奏中に、鳥がさえずったり、風が楽譜を飛ばしたり、ホームレスのおじさまが小銭を投げ入れたりと、ハプニングも多い。指揮者はそれぞれ異なるが、まだ二回演奏が残っているので、是非ともお勧め。

ジョギングなので、カメラを持ち歩けないのが残念。臨場感のないblogになってしまってすまないです。明日は、NY Philharmonic。混みそうだ。イベントがあるおかげで、走りがいがある。これなら続きそう。

29. Reading List for the Summer

今夏の課題図書

これまでクラシックのコンサートには、数えるほどしか行ったことがなかったのに、ヨーロッパ旅行中、器楽部出身のロンドン在住A夫妻に『のだめカンタービレ』という漫画を課題図書として出されて以来、何故か機会にも恵まれている。この漫画が、またあなどれない。面白い。英語版まで発見。私のようなクラシック初心者で、その奥の深さがよくわからなくて、とっつきにかった人には、お勧め。

もうひとつの課題図書は、『沈黙の艦隊』。私が国際関係学部で安全保障みたいなことをちょっと勉強していると話したら、A夫妻といろいろ議論になり、専門外だというのに旦那さんの幅広い知識(漫画による)に、私は気負されてしまった。結果、課題図書として出された。情けない。ちっ、こんなのコロンビアでは習わなかったもん。

そして、先日の友人の式では、食に関わるお仕事をしていらっしゃる新郎が、挨拶の中で引用した言葉も、漫画『ぽっかぽか』から。「子供はご飯を食べながら、愛情も一緒に食べている」という言葉が、紹介された。座右の銘を故事・諺から出す人は多いが、漫画とはこれまた粋な。シンプルでいい言葉。新郎の、お仕事に対する哲学と情熱も素直に伝わってきた。

しかし、みんな、よく読んでるなーと、感心した。たぶん、彼らの大学の教科書も仕事の報告書も、漫画に違いない。私も昔は漫画をよく読んでいたが、大学に入ってからは、ぱったり止まってしまった。もったいなかった、と今になって思う。特にこの半年間は大学で、睡眠薬のよく効いた法律関係の英語の本ばかり読まされたので、久々の日本の漫画は、その単純でいて読者を引き込む圧倒的な魔力が、とても新鮮だった。久しぶりに改めて、漫画のこの力とシンプルさ、時にはくだらなさが大切なんだよなー、とも思い出した。新聞や専門書だけでなく、漫画、小説、雑誌まで、幅広く読むことの大切さも、思い出した。

私たちの世代は、つくづく漫画で雑学を得て育ったのだと思う。実を言えば私も、NYへのほのかな憧れは、中学生以来の我が愛読書、『カリフォルニア物語』 (NYが主な舞台になっている)と『BANANA FISH』 から始まった。余談だが、東京の父子家庭の都会生活を描く、愛すべき漫画『Papa told me』も、中学のときから私を形づくってきた。今でも帰国のたびに新刊をチェックしている唯一の漫画。

そしてその後は、漫画から小説や映画へと移ってしまった。『BANANA FISH』から、愛してやまないサリンジャーに辿り着き、フィツジェラルドカポーティウディ・アレンなど、お気に入りだった作家たちの小説や映画へと読み進めていった。彼らの作品はたまたま、NYを舞台にした話が多かった。私とは異なる時代と社会を生きているのに、文章から伝わってくるそれぞれの瑞々しい感性が新鮮で、気晴らしによく読んだり見たりした。

その頃は、まさか将来、自分がNYに住むことになるとは、夢にも思わなかった。好きになった小説や漫画たちも、たまたまみんなNYを舞台にしていただけで、お話の中の遠い世界として、特に意識したこともなかった。

あれから10年近くがたち、今では、ストーリーさえ忘れてしまった作品が多い。でも。ただひとつ、中学生のときに読んだ、先の『カリフォルニア物語』だけは、今でもよく覚えている。NYは、雪に閉ざされた孤独な都会として、それはそれで憧れ、何度も、繰り返し繰り返し、読み返した漫画だ。今から考えれてみれば、ethnicityや社会に対する視点は、この作家から学んだところが大きい。

最近になって、とうに忘れていた古い記憶を掘り起こし、ああ、こうやってみんな繋がっていくものなのか、と、初めて気付いた。人生とは不可思議だ。

課題図書。日本では、結局重いので買えなかった。早いとこ、手に入れないと、夏休みが終わってしまう…。先生、どうしよう…。

Monday, July 11, 2005

27. Five Raccoons at Riverside Park

今夜は、Bのインターンの帰りが遅く、夜9時ごろにウォーキングをはじめた。とはいっても、最近のNYの日没は8時半ごろなので、それほど暗くはない。時間が遅かったせいか、先日のような無数の蛍には遭遇できず。

残念に思って歩いていると、散歩中の犬が木に向かって吠え立てているのが見えた。5匹のアライグマが木にしがみついて、こちらをおずおずと見ている。子供4匹と母親らしかった。sooooo cute! Riverside Parkには、リスがいたるところにいるが、アライグマを見たのは初めて。ジョギングを始めてから、毎日、新しい発見があって楽しい。

前のルームメイト二人が引き払った後の部屋に、先月、引っ越した。ヨーロッパ旅行後、二人が引き払った後のアパートに戻ると、大きなゴミ箱と化していたので、絶句した。二人とも必要なものだけ持っていって、後はみんな置いていったようだ。掘り出せば掘り出すほど、3-4年前の電話帳やらバスタオルやらなにやらかにやら、山のように物がでてきた。総じて、大きなゴミ袋10袋分。

お皿やグラスなどを置いていってくれたのは有難かったが、数少ない私のキッチン用品のいくつかは、間違ったのかトレードなのか何なのか、持っていってしまったようだ。うーん、まったく今時の若い米人は…。

ゴホゴホいいながら、アパート中を大掃除し、ついでに部屋を塗り替えてもらったり、改装してもらったりして、窓の大きな明るくて広い部屋へお引越し。これまでは、北向きの裏庭に面した小さな窓しかなかったので、暗くてdepressiveな部屋だった。新しい部屋の窓も、冬には隙間風が忍び込むボロボロの木枠なので、交渉に交渉を重ね、とうとうこの夏中に新しい窓に換えてもらえることに。

キッチンもリビングもからっぽになってしまったので、自分の物を買い揃え、ようやく最近になって、普通の暮しらしい生活になってきた。非常用階段用だが、小さなバルコニーもあるので、今度花を買ってこよう。今は、毎朝、日光で起きられる。やっと自分らしい暮らしを送られるようになり、嬉しいい!

そして、もうひとつの交渉。奨学金事務所が、夏のサマーコース代も払ってくれることになった。よかった。このクラスをクリアしないとやっぱり卒業できないようなので、頑張りマス。ガーナから東ティモール、タンザニア、NYまで、同級生を世界各地のインターン先へ見送ったのに、私はNYで居残り勉強。情けない。

ま、落ちこぼれでしたので。居残り勉強は、昔から慣れてますの。コースが始まるのは、月末から。それまでは、久しぶりのオフをのんびり過ごします。NYは夏がいいらしいので、今年は楽しみます。やったね。

Sunday, July 10, 2005

26. Jogging with Fireflies



ようやく、NYに戻ってきました。

この夏の目標: 苦手と怠惰の克服。
語学、自炊、ジョギング。

語学-mandateとして課されている語学のクラスを、夏中にとる。今更ながら、情けない。
自炊-外食癖を改める。
ジョギング-東ティモール以来、ぱったり。歩いて1分のRiverside Parkを毎日、走る。

成果は、乞うご期待。

NYに戻ると、夏の二ヶ月だけのルームメイトBが到着していた。OCHAでサマー・インターンをする同い年のドイツ人。半年間一緒に住んだ二人のルームメイトは、先の5月に卒業し、それぞれ実家のカリフォルニアとボストンに戻っていった。新しいサマー・ルームメイトがどんな人か、少し不安だったが、そんな必要はなかったよう。すぐに打ち解けた。南米で過ごしたことがあり、性格も穏やか。うまくやっていけそう。…よかった。


Riverside Park


Riverside Park


at Riverside Park

、、、夕方、Bと二人でRiverside Parkをジョギング。日が暮れ始めると、ときどき光のような何かが、芝の上をちらちら飛ぶのが見えた。何だろうと不思議に思いながら走っているうちに、光の数が増えていく。しばらくして、蛍と気付いた。

日没後、その数は勢いを増した。飛び散る蛍に囲まれ、踏みやしないか、服の中に入らないか、心配になりながら、ふと見上げると、いつの間に、まるでクリスマス・ツリーのイルミネーションの中を走っているような錯覚に陥った。大量だった。林の中を延々と、無数に点滅する光の帯が続いている。

あまりの幻想的な風景に、時を忘れた。公園の脇を流れるハドソン河は、対岸のNew Jersey の明かりを映し出していた。火照った体が、静まっていく。蛍の光に包まれて、改めて、ここに今いる歓びをかみしめた。

25. Agenda for This Summer

ようやく、NYに戻ってきました。

この夏の目標: 苦手と怠惰の克服。
語学、自炊、ジョギング。

語学-mandateとして課されている語学のクラスを、夏中にとる。今更ながら、情けない。
自炊-外食癖を改める。
ジョギング-東ティモール以来、ぱったり。歩いて1分のRiverside Parkを毎日、走る。

成果は、乞うご期待。


NYに戻ると、夏の二ヶ月だけのルームメイトBが到着していた。OCHAでサマー・インターンをする同い年のドイツ人。半年間一緒に住んだ二人のルームメイトは、先の5月に卒業し、それぞれ実家のカリフォルニアとボストンに戻っていった。新しいサマー・ルームメイトがどんな人か、少し不安だったが、そんな必要はなかったよう。すぐに打ち解けた。南米で過ごしたことがあり、性格も穏やか。うまくやっていけそう。…よかった。