Tuesday, February 21, 2006

58. Team Torture...

さて、いろいろ書きたいことが溜まってきた。学校の方も結構忙しい。3学期目のグループ・ワークなどについて、少し。

International Human Rights: Law, Politics, & Institution のクラスでは、以前にも書いたように、3月下旬に模擬裁判のrequirementがある。私は希望通り、グアンタナモ米軍基地のテロリスト拘束収容所に 関する裁判に割り当てられた。そこまではよかったが、なんと米軍擁護のグループに振り当てられていた…。チーム・メイトは、他3人。メール上では既に、 "Team Torture"と呼び合い、さっそくチームの結束を固めている。どうなることやら。

このケースについては、つい先日タイミングよく、国連人権委員会がグアンタナモ基地の拘束施設を閉鎖するよう勧告を出した。(朝日新聞記事)が、当然ラムズフェルド米国防長官や米上院議員は、テロとの闘いに必要な処置である、と譲っていない。(BBC記事)しかし、南ア・ツツ司教や英大臣など国際社会だけでなく、クリントン元大統領などからも、閉鎖を求める声は高まっている。(BBC記事)我 々Team Tortureは、反論の余地を見出さなければいけない。そういえば、1年前にとった国際法の授業の最終試験でも、国防長官宛てに、イラク・アブグレイブ 収容所の虐待と拷問について、収容所の責任者をどのように処置するか、legal memoを書きなさい、という問題が出た。何を書いたか、今となってはほとんど覚えていないが…。うーん、頑張ろう…。

Conflict Assessmentの授業では、グループ・ワークではないが、各自、国とクライアントを選んで、Assessment Methodologyを使って分析し、発表する。私は、スーダンのダルフールを、世銀のmethodologyを使って、分析することにした。提案には 先生からGoサインが出たが、実際のところ、ダルフールは、PKOミッションの設立さえ、まだ決議されてない。世銀の出番は時期尚早…、という結論になる のかしら。

一方のPolitics of Policy Making のCase writingは、4人のチームで、安保理改革G4案を巡る攻防について。それとは別にとっている、Lindenmayer教授の SC/PKO in Africa の授業でも、先日、安保理改革についてのペーパーを書かされた。先生が小澤国連大使をクラスに招いてくださったこともあり、PoPのグループ・ワークの方 は順調。アウトラインはほぼ出来上がった。明日、あさってと、Edward Luck教授、Lidenmayer教授をインタビュー、小澤大使にも、3月にもう一度インタビューすることになっている。

個人的には、 昔は日本の常任入りは時期尚早なのではないのかしら、野心的な人たちの考え?と懐疑的だったが、この1年間、M参事官による安保理勉強会や、フォーラム勉 強会、そして二度の安保理傍聴などの中で、私の認識も変わった。思えば1年前、まだSIPAに入学したての頃に、下記のクルド難民の突然の強制送還の ニュースに驚き、当時とっていたManagement of UN Systemのクラスの中で日本とドイツの安保理入りについて、あまりに楽観的に意欲を示していたDirk Salomons先生のところへ抗議?しに行ったことがあった。日本国内には教科書問題や難民の強制送還など様々な問題があるし、安保理入りの意義も国民 に充分理解されてない。まだあまり楽観できるような状況ではないかもしれない、と言った覚えが。元気だったなあ。今は、安保理改革はできれば早急に、日本 はその推進役を担う過程の中で、中国との関係、ODA改革、難民の受け入れについて、同時進行で改善を推し進めていくべきである、と思う。靖国や歴史問題 についても、ODA0.7%議論にしても、安保理改革がテコになってくれたらとは思う。

しかし、最早、世の中は、人権理事会の創設と次期事務総長選びに、話題が移っている。安保理改革についての議論は、しばらく棚上げとなりそうだ。

日 本では、「人権」というとActivistをイメージする方も多いかもしれないが、今や国連では、安全保障理事会、経済社会理事会(ECOSOC)に続 く、「人権理事会」の創設もあって、「human rights」は流行りである。安全保障・開発・人権の三つが、自由を支える柱である、という概念を、昨年、国連が明確に打ち出したことが背景にある。国 連フォーラムでも、勉強会や議論が活発に続いた。開発業界の中でも、Rights-based approachがメイン・ストリーム化されたり、民主化やガバナンスの中でもRule of Law(法の支配)とHuman rights(人権)の概念は基礎となったりする。私もさんざ迷った挙句、Concentrationはhuman rightsで卒業することになりそうである。何故、人権?と日本人の同級生に聞かれることが多いが、本当のところは、流行りモノが好きな私はトレンドに のっているだけである。(Requirement数が少ない分、Coreの多いMPAには、Securityを選ぶよりも現実的だったという理由もあ る。)

でもよく考えると、一番初めに国際人権に関心をもったきっかけは、報道局時代だった。毎日毎日APとロイターが、アフガニスタン、 パレスチナ、カシミール、ネパールなど、世界中から繰り返し送ってくるグロテスクな映像をモニターしているうちに、素朴に戦時中の人権について疑問に思っ た。長い間、国際報道の映像の仕事をしていれば、次第に、何を見ても聞いても、動じなくなり、感じなくなる。米軍のアルカイダ掃討作戦、イスラエル軍のイ ンティファーダへの報復、テロの応酬や各地でのデモなど、9・11以降の1年は、特に異常だったのかもしれない。未だに、脳裏に焼きついている叫び声や死 体は、幾つもある。映像の力は強い。今はきっと、イラクから毎日繰り返し送られてくるテロの映像を、かつての同僚らがモニターし編集しつづけていることだ ろう。編集作業は、国民の夕飯のお茶の間に流せる部分だけを、編集マンに抜き出してもらい、音声原稿に貼り付ける。残虐なシーンや死体は、決してお茶の間 には流さない。だから、日本人は、世界で何が起きているか、あまり知らされない。

生でないだけマシだったのかもしれないが、報道局や編集 室に篭って編集していると、映像に映るパレスチナ難民のつんざくような哀しみも、アフガン難民の帰還の喜びも、次第に現実味を帯びなくなってくる。ニュー スは生ものだから、古くなれば捨てる。私の場合は、何を見ても何も感じなくなり、テレビ的価値しか見出せなくなってしまった自分に、ある日とてつもなく嫌 気が差し、早く現実の普通の世界に戻りたいと思うようになった。憎しみと怒りと哀しみに血塗られた幾つもの死を覗き見する間に、心に溜まってしまった穢れ や感情のかすを、どこかで吐き出し、洗い流したかった。早いところフィールドにでも行こう、せめてもの罪滅ぼしに、いつか国際法と人権のことでも勉強しよ う、と思った。

まあ、そんな訳で、human rightsをとっているのだ。それにたまたま運よく、最近の国連のトレンドが重なっただけで、本当のところ は、過去の罪滅ぼしの延長でしかない。言い訳がましくて、申し訳ない。

日本のお茶の間の皆さん、ごめんなさい! 世界ではいろいろ起きて たけど、み~んなカットしてしまったか、見て見ぬふりでした。皆さんが、夕飯を食べながら、ニュースを見られるように。もし海外で何が起きているかを見て みたかったら、夕飯時のニュースではないドキュメンタリーなどの番組を見るか、海外のテレビを見てみるといいかも…。


以上、徒然なるままに、三学期について。
えー、ところで、経済の授業は…。  ;;

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