私が大学時代の4年間のほぼ全てを注ぎ込んだAFS日本協会・神奈川支部は、高校留学を通じた国際異文化理解教育を目的とする民間の財団法人(文部科学省下)である。日本では、先日、緒方貞子さん(Non "Returner")を招いて設立50周年を記念したばかりのようだったが、国際本部はNY にあり、1919年に活動が始まって以来、世界50カ国以上にオフィスを置いている。毎年、世界で11,000人、日本国内では400人以上の高校生(年間派遣生)を、欧米、中南米、ASEAN、北欧各国の高校へ派遣、同時に留学生を受入れている。日本国内に60以上の支部を持ち、ホスト・スクール、ホスト・ファミリーへのサポートなどをしながら、国際異文化理解教育の機会を、地域に提供している。AFS生は、言葉もわからない各国の高校と家庭に1年間放り込まれ、四苦八苦しながら言葉を覚え、異文化の壁を越えるAFS体験を通して、多様性と、異なる価値や尊厳の尊重、差異の尊重、寛容性を身につけてい く。(詳細はこちら。)
AFS (American Field Service:米野戦奉仕団)の歴史は、もともと第一次世界大戦に遡る。パリにいたアメリカ人が、傷病兵を救護輸送するAmerican Ambulance (Service)の活動を始めたことが発端。一次大戦終了後、戦後の反省のもと、異文化理解教育を目的に、仏大学生を米国に送る、AFSフェローシップ・プログラムを開始。第二次大戦が始まると、傷病兵輸送サービスの活動を再開。中東、北アフリカ、ヨーロッパ、インド、ビルマなどで救護輸送を行い、1945年には、AFS救護輸送車ドライバー約70名が、ナチ強制収容所からのユダヤ人開放の輸送に従事。第二次大戦後、国際奨学金制度を設立。11カ国から 52名の大学生、高校生が米に派遣され、日本からは1954年、第1期生8人が氷川丸で渡米。以来、派遣・受入国は50カ国以上に広がり、現在までに、延べ32万5千人、日本国内では約1万人以上の高校留学生を輩出してきた。(詳細は、英語)よく、世界各国におけるAFSボランティア組織の裾野の広がりを、赤十字と比べたりするが、もともとは発祥の経緯にもあるようだ。個人的には、最近、国際人道法(戦争法)を勉強しているので、すっかり忘れていたこうした経緯は興味深くもある。皆さんの記憶にあるかもしれないのは、10年以上前に米で起きた、日本人留学生射殺事件かもしれない。事件後、遺族が中心になって米銃社会への規制を働きかけ、米日AFS事務所やAFSボランティア・ネットワーク(ホスト・スクール、ホスト・ファミリー、リターニー、ボランティア)もサポートした。
そうして派遣されたAFSリターニー(Returner: 留学経験者)は、最近は、日本国内でも、外交畑をはじめとし、政界、財界で、随分と活躍しているようだ。名簿については、悪用を恐れ、一切公表していないので、その全容は知れない。私自身は、大学時代ボランティアとしてあれだけの時間と精力をAFSに費やしたというのに、リターニーの現在のことを、あまり意識したこともなかったので、先日の懇親会まで、大御所がごろごろいることなど、ほどんど知らなかったので驚いてしまった。懇親会でも、だいぶ話題になったのが、S外務副大臣、I元軍縮大使(少子化担当大臣)、A広島市長をはじめ、各国大使。 (3月初めの国際本部代表訪日記事を 参照のこと。)NY周辺でさえわかっているだけで、O国連大使、T公使、N放送局F米総局長、A新聞米総局長ほか、上記前出メンバー。私の周りでも、東ティモールでもお世話になったUNICEFのU東京代表をはじめ、国連職員の中にも何人かAFSリターニーやボランティアがいる。時代の違いもあるだろうが、改めてみると、高校時におけるAFS留学は多くの人材を国内外に輩出しており、その教育的効果は計り知れないものがあるようだ。AFSが他の数ある留学プログラムや国際交流プログラムと圧倒的に異なるのは、その体験を、多様性の尊重と差異への寛容の精神、平和の追求、という国際社会の原則的価値に汎用させる、徹底したオリエンテーション(出発前・留学中・帰国後)と丁寧なサポートシステムによる教育的要素だと思う。それらを全てボランティアで回し、特定の宗教も政党も企業のバックもなく、純粋に、色をつけないようにやっているのだから、運営事務局はかなり大変である。
ここ数ヶ月間、SIPA同級生らと交わした、ODA議論、移民議論、難民議論、国内における「外国人問題」、中国との関係悪化に伴うナショナリズムの高揚に対する議論などを繰り返すにつけ、国内 における国際理解教育(異文化理解教育・開発教育の両方)が如何に大切かを思い知らされる。そういう意味で、AFSの使命と 役割の果たす効果は大きい。学生ボランティアをしていた大学生の頃は、ぼんやりとしか理解していなかったが、紛争解決や平和構築、和解の現場を見てのち勉強している今、改めて、異なる価値感や尊厳の尊重、寛容の精神が、平和な社会を実現するという、言葉の重みを痛感する。東京では最近、国内「外国人問題」 について、IOM(国際移民機関)を招いたシンポジウムが、 開かれたようである。前にも議論したが、移民や難民を受け入れるだけでなく、外国人観光客や海外投資を呼び寄せるには、日本社会も異文化を尊重する社会へと変容する必要があると思う。また、外相がAsia Wall Street Jornal に最近掲載した"Japan Welcomes China's Democratic Future"と題する意見記事も、 大変興味深かった。外相のいうように、日中の高校生数百人が、近い将来、交換留学をしあい、ホーム・ステイをする、そんな未来が本当にやって来るのだろうか、と思ってしまうほど、現状は悲観的でさえある。が、こういうのは、国内における地道な機会の提供で、時代と共にいずれ変わっていくものでもあるとも思 う。その意味で、AFSの役割は、改めて大きい。
興味深かったのは、今回の懇親会で、10期~14期の皆さんが、AFS日本支部を支えた大学生ボランティアだった頃の話に、華が咲いたときである。当時は、学生闘争の時代だったそうで、リターニー・学生ボランティアは、体制派と反体制派に分かれ、出国前オリエンテーション中に、新橋のビルの元で揉みあいになったり、羽田空港でビラが撒かれたりしたそうだ。あの時代に、米国に高校生を送ることが、センシティブだったのは想像に難くない。当時大学生ボランティアだった、Iさん(少子化担当大臣)やF元キャスター(N放送局米総局長)も、反体制派リターニーに潰されかかった日本事務局を守り、財団に申請する手続きをとるため、虎ノ門で一緒に奔走していた、という話を聞いたときは、にわかに信じがたかった。他には、今でもミャンマーからの留学生には政府から監視員がつくこと、中国からの留学生が帰国直前に帰りたくないと日本国内で逃走してしまった話など、様々なことが話題に出た。 ASEAN交流などの目的で留学生の数を増やすのは簡単だが、欧米ではなくASEANからの留学生を1年間預かってくれるホスト・ファミリーを日本で探すのは、容易ではない仕事だとも、話していた。
私自身は、高校生のとき、AFS留学から帰国した同級生に、御殿場で行われる5日間のサマー・キャンプに 誘われたのがきっかけだった。両親の許可を得て、お小遣いをはたいて参加。欧米の学生に会うのを楽しみにしていくと、そこには多くの中南米やアジアの高校生たちがいて驚いた。グループ・ワークを通して、モンゴルとタイからの留学生と仲良くなり、言葉や人種、文化の違いの壁を超えるのが楽しくて、将来は国際 関係の勉強をしようという動機にもなった。大学生になってから、AFSがキャンプ・スタッフを募集するというので、学生ボランティアに参加。御殿場でのイ ンターナショナル・サマー・キャンプの企画を中心に、各国留学生の受入プログラムのオリエンテーションや、神奈川支部の交流プログラムを、手伝った。毎日 のように新橋・虎ノ門の事務所に通い、夜中まで議論しあい、仲間と費やした濃密な時間は、いい思い出だ。
当時の大学生ボランティアの仲間は、高校時代、AFSで留学したメンバーが中心だった。デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、メキシコ、コスタリカ、ベネズエラ、アメリカ、オーストラ リア、マレーシア、タイ…、帰国後は、日本社会への再適応と大学受験に苦しみながらも、強烈で特殊な体験をもとに自分の道を切り開いていっていた、当時の仲間から受けた刺激は大きい。私自身も、大学で国際関係学を学ぶ傍ら、AFSのいう異文化理解教育の重要性に気付いていた。当時企画していた、たった5日間のサマー・キャンプでさえ、日本人高校生200人と受入留学生50人に、どういう国際異文化体験をしてもらうか、留学に行けない高校生のために国内でできることは何か、どのようなきっかけを掴んでもらうか、どんなメッセージを伝えるか、大学生ボランティア50人をどうトレーニングするか、ということを、毎晩のように当時の仲間と、虎ノ門の事務所で遅くまで議論した。あまりにも毎晩、虎ノ門から終電で帰り、長電話で話し合うので、家族からは勘当すれすれだった。
本業の学業そっちのけで、どっぷりと漬かったAFSボランティアでの数年に疲れきり、また国際開発を勉強していたのでフィールドへ行ってみたい、私もAFSのような異文化体験をしたい、などなどの理由が重なって、大学4年生秋からCIEEという団体を通して、ガーナ大学に留学することに決心した。開発コンサル(三祐コンサルタンツ) やレストランなどのバイトを重ねてお金を貯め、アフリカに1年行きたいと家族に伝えると、母は泣いて反対したが、父は折れ、最終的には認めてもらえた。しかしその後、東ティモールでの仕事も、大学院留学でさえも、強い反対に合った。私が途上国に関わる仕事を選ぶことをようやく理解し、認めてくれるようになり、親との確執がなくなってきたのは、実はほんのこの1~2年のことである。だからこそ、異文化理解を日本社会に求める意識が、私は強いのかもしれない。 香港に仕事で3年住んでいた我が親や兄弟ですら、説得にこれだけの時間がかかったのだ。日本女性が、国際社会に出るまでには、場合によっては様々な障壁がある。男性には、そういった精神的労力は、想像もつかないかもしれない。
ガーナに留学していたときも、AFS事務所があると聞き、帰る前に一度だけ訪ねにいったことがあった。小さな事務所を訪れると、温かく迎え入れられ、それなりに嬉しかった。日本もいつか、ガーナを初めとしたアフリカの高校生との交換留学を始めればいいのに、と心から願う。昨年、ドイツを旅行したときには、一日だけ利用したケルンのユース・ホステルで、AFS大学生ボランティア相手のオリエンテーションに遭遇した。私も東京で同じようなことやってたよ~と、ひとしきり盛り上がった。ドイツでは、旧東ドイツ地域との交流や、東欧との交流にも、力を入れるらしい。
暫くは、AFS日本協会が現在3人しか受け入れていない中国の留学生を9人まで拡大するそうなので、それが遠い将来、どう発展するのかを、見届けたいと思う。ASEANプログラム同様、AFSが中国プログラムも広げていけたらいい、と願う。
ホスト・ファミリーは、年中、探しているようですので、ご関心のある方は、こちら。今年から、高校生だけでなく、大学生やシニア、子供も参加できるプログラムを拡大したようです(こちら)。まさかこの期に及んで、またAFSとの縁があるとは、夢にも思っていませんでしたが…。

(写真は、昨年、ドイツ・ケルンのユースホステルで遭遇したAFS学生ボランティア。)















































