
@ Rockefeller Center

Skate Link @ Rockefeller

Lincoln Center (pic from A-chan)

Nutcracker @ Lincoln Center (pic from A-chan)

Columbus Circle (pic from A-chan)

@ St. Johns the Divine Cathedral 鶴や孔雀の折り紙の飾り。

Peace Concert

ソプラノ歌手による歌のほか、第九を演奏

Chef Aの巧みな盛り付け

うちのお雑煮

この上、ぜんざいも食べる。食べ過ぎた…。残りは明朝に。演出家Aにより、クリスマス・ツリーの小枝も、あっというまに松の枝に変身。上のお獅子は、Chef A' からのお年賀。
年末年始
クリスマス後、第二の帰省・脱出ラッシュが相次ぐ。私は、昨夏に一時帰国をしたし、年始には父がNYを訪れるので、今年の年末年始はNYで過ごし、観劇に徹した。NYに来て1年というのに、観たものは先日かいたブロードウェイの1つのみ。これまでは勉強が大変で余裕がなかったせいもあるが、せっかく学生割引があるというのに、これではもったいない。なんとか
正常に、先学期 -苦痛以外の何ものでもなかったが、大変有難い勉強の機会に感謝はしている- を乗り越えたので、祝いがてら楽しんだ。
まずは、ずっと観に行ってみたかった、クリスマスの風物詩『くるみ割人形』。一緒に観に行くAちゃんとK君によると、この
Choreograper George Balanchine による New York City Ballet の『Nutcracker』は、特にいいらしいとのこと。「この一年、お疲れ~」と、自分への褒美に、奮発して一階席をとった。席をネットで確認していなかったので、当日に行ってみてびっくり、なんと一番前の席。もちろんベストではないのだろうが、オーケストラの演奏の様子、踊り子たちの表情や息遣いを観ることができる、とAちゃん。偶然、国連フォーラムでお会いしたECOSOC日本人職員の方にも、一番前の席でお会いした。観客は、家族連れが多い。私たちの後ろも、アフリカンの子供連れがわいわいやっている。公演が始まり、踊り子の子供たちがたくさん出てきた。彼女たちの笑顔の輝きといったら、もうたまらない。晴れの舞台に立つ歓びが体中から溢れ出ている。ブロンドに青い目の踊り子が多い中、主役を演じる女の子はラティーノだったのか、一人だけ黒髪の黒い瞳。華があり、オーラに包まれていた。チャイコフスキーを振る指揮者は、女性。女性の指揮者を見るのも、私は初めてだった。今回の観賞の感激は言葉に尽くせない。夢は、持つもんだ。
翌日は、N・NY総局に呼ばれた。私の後任の後任、NさんがNYを訪れるので、NYを案内してあげてほしいとのこと。学期中は忙しくて総局に遊びに顔を出せなかったので、元上司はちょっとご不満の様子。でも訪ねに行くと、なんとかご機嫌を直してくださった。ほ。以前、私にも総局を案内してくださったのと同様、今回もNさんのために中を案内。海外中継用のスタジオ、
クロマキー、9・11のときにも活躍した
天カメ、映像回線室と伝送経路について、一緒に説明を受ける。現役ADのNさんは感動している模様。私も、東京での仕事を辞め東ティモールにいた頃、休暇中に、初めてジャカルタ支局の中を案内してもらったときの感動は忘れられない。東京報道局のニュースセンター(NC)で毎日受け手にいるだけでは、なかなか送り手の海外支局のことは想像がつかない。現役のときに、こうして外の支局を紹介してもらえるというのは、羨ましい。
その後、ランチにブラジル料理に連れて行ってもらう。N7、N10、国際班の、今の様子を伺う。1月からは、N10ではなく、N9に戻るとのこと。昔のメンバーも元気そうで何より。元上司と別れてからは、Nさんとロックフェラー周辺へ。その後は、仕事の四方山話に華が咲いた。
国際放送局、報道局国際部、テレビ・ニュース部国際班、国際回線室やBSの番組部などでは、外大や上智、ICU出身の、語学堪能系の若いスタッフが、契約で多く働いている。そんな中、二人しかいない、N7/N10・国際班・アシスタント・ディレクター(AD)の仕事は、体力勝負できつい。報道の心臓部と言われるNC(ニュース・センター)で仕事し、ある意味、国際報道の最前線にどっぷり漬かれておもしろいが、実質は体育会系ともいえる。9・11のときなどは、数週間後も特別体制が敷かれ、緊張が続いた。職員は交代で休みに入るが、アシスタント・ディレクターには休みがない。このままいったら倒れるな~と思っていたら、運よく急性盲腸炎にかかり、二週間の休みをもらえた(痛かった)。代わりに、他に休みはなかった。ま、普通なのかな。その代わり、何故だかわからないが、NDには本当にかわいがってもらえる。未だにこうしてお世話になっている。義理人情に厚いあたりも、体育会系的であるといえるかもしれない。
余談になるが、国際報道映像制作の裏側というのは、同業者でさえ想像のつきにくい仕事のようなので、この機会に簡単に説明を。国際班ADのボス、国際班/ニュース・ディレクター(ND)は、国際部/デスクや特派員記者が出稿する原稿に合わせて、映像をつなぎ、スーパー(テロップ)原稿を作り、中継のコーディネーションをして、キューを出し、映像送出卓を叩いて、放送を出す。アシスタント・ディレクター(AD)は、彼らのアシスタントとして、あらゆる映像(
ロイターや
AP、
EVN、
Asiavision Al Jazeela, の配信映像から、独自映像まで)に目を通し、映像キャプションと著作権利情報を確認し、通訳と編集マンと編集作業をする。コーディネーター、国際回線室、海外映像室、音声室、を往復して、海外支局からの伝送映像や音声がきちんと届いているか確認し、録画してもらう。その日のレポートや情勢に合わせて、ダリ語、パシュトゥン語、アラビア語、朝鮮語、ウルドゥー語、英語などの通訳を手配し、アフガン人やイラク人のインタビュー、ブッシュやラムズフェルド(米国防長官)の記者会見を訳して、翻訳スーパーを入れる。映像に映る顔や場所、軍機などを見て、正確な名前や肩書きを言えるよう、国際政治の主人公と脇役、舞台、戦闘機や軍艦、ミサイルの名前を覚えていく。リアルタイムで国際情勢が更新されていく中、誤ったキャプションや放送事故を出さないよう、細心の注意で事実関係を追い、作業手順を確認する。一方で、資料映像を使って絵で語らせる場合、NDから「ユーゴ空爆、ミロシェビッチの直近」と言われれば、ビル中にあちこちに散らばっている膨大な映像倉庫とデータベースから、いくつもの映像を引っ張り出し、見て、編集マンといいカットを掘り当て、切り貼りする。国際ニュースを長年こまめによく見て覚えているのが、いいニュース映像制作の仕事に繋がる。みんなが何気なく見ている国際ニュースの、ワンカット、ワンカットは、これだけの人々が関わり、時には何時間もかけて選び出したベスト・カットの塊なのである。(…と、この機会に、ちょっと言ってみたかった。)上記はまだごく一部で、それ以外にも細かく複雑な過程を、編集マンや、通訳、ND、コーディネーター、回線室、音声室と、クリアしていく。しかもそれぞれは技術屋であって、国際情勢を理解している人は少ない。国際政治を理解している人にいたっては、一部の通訳とNDだけだ。共同作業ではあるが、これらすべてをAD二人でやるのだから、結構疲れる。
しかも、NCには、女性がほとんどいない。常時、百数十人がひしめく大フロアなのに、1割もいない。人使いは荒い人とも、適当に上手にかわしながら働くので、苦労は絶えない。今はどうかわからないが当時は、NCは禁煙エリアなのに、NDも記者も喫煙したままなので、窓のないNCの空気はいつも白く濁っていた。また、モニターする国際映像というのも、その多くは、世界中で起きたテロや事件・事故の映像で、爆発で引きちぎられた肉塊や、潰れた顔、死体の山、最近ではアル・カイダが捕虜の首をのこぎりで切り落とすシーンなど、である。慣れるまでは、食事も喉を通らない。生きている人間の映像と言えば、ブッシュにキム・ジョンイルに江沢民(当時)…。会見編集作業などで、彼らの顔ばかり何時間も眺めていれば、これも食傷気味になる。私が入ってすぐの頃は、小泉氏の靖国訪問に抗議をする韓国右翼数十人が、日本大使館前で号令と共に小指を切り落とし、韓国国旗に詰めた小指の小山を盛って包んで送りつける、という事細かな映像を、何度も何度もロイターやAPが送ってくるので、参った。…いろいろ大変だとは思うけど、負けないで頑張るんだよ、とNさんを励まして、翌日、国連ツアーに連れて行く約束をして別れる。以上、閑話休題。
その日の夜は、同級生たち6人で
『SAYURI』を観に行く。前評判が悪かったからか、私はいい印象を得る。特に主役のチャン・ツィイーとコン・リーがよかった。何で主演の芸者はやはり日本人がよかった、と諸君がいうのか、よくわからない。あの二人に勝り、世界に通用する、いい女優が、日本にいるとしたら、一体、誰なのだろう。私は
『初恋のきた道』も『紅いコーリャン』も大好きだったので、二人の印象がいいのかもしれない。こんな素晴らしい日中友好の映画を作ってくれた米映画人に感謝すべきだ。と、私流解釈。
次の日は、Nさんを国連ツアーへ連れて行くが、これが年末で恐ろしい混みよう。長蛇の列を一時間近く並び、やっとツアーに参加。私にとっては二度目のツアーだったし、国連総会のときにいろいろ歩いたので、まあ特に。別れ際、Nさんに報道局の皆さんへ、とUNチョコのおみやげを託す。激動の国際情勢を映像で追うのは、大変だけど、とても貴く大切な仕事。頑張ってください。どんな国際ニュースに触れるたびにも、いつもNC国際班のことを思っていますよ~。
翌々日の大晦日前日、30日は、夢にまで見た、念願の
Blue Note, New Yorkに、初めていく。Chef C に誘われ、同じくJPOのTさん夫妻お勧めの年末ライブだったので、迷わなかった。しかも、Blue Note NY は、日本の約半額の値段! 学生の頃、よっぽどBlue Note Tokyo でバイトをしようかと思ったくらいだが、人生を踏み誤りそうだったのでやめておいた。なので、想いは格別だった。
95年にグラミー賞ベスト・ボーカルを授賞した、女性ジャズ・シンガー、Cassandra Wilson。私は知らなかったが、Chef C とTさんの二人は、セントラル・パークでのサマー・ステージで、彼女のライブを見たとのこと。ライブが始まると、彼女の低い声と、メローなリズムに、私は固まってしまった。Jazzy, Vosa Nova, and West African な音楽に、心が揺さぶられ、涙が止まらなかった。自分でも驚いた。特に、バック・バンドのハーモニカとドラムが素晴らしかった。最後、アンコールの曲は、Bob Marley の『Redemption Song』。想い出深い曲だったので、これにもノック・アウトされる。これまで、いろいろな音楽を多く聴いてきたけれど、でも、本物に触れる瞬間というのは、こういうことのなのでしょうか…。
31日の大晦日。午後4時頃から、Chef A と Chef A'とお正月準備を始める。とりあえず、ジャスマートへ買出しへ。6時半からは、ルームメイトも誘って、すぐお隣の教会へ。以前からK夫妻のお誘いを受けて、約束していた、
New Year's Eve Concert for Peace へ。無料。入ってすぐに、鶴と孔雀の折り紙が散りばめられた巨大なクリスマス・ツリーが待ち構えていた。司祭は、カトリーナや津波、地震などの災害被害者への祈りを捧げる。ソプラノ歌手による歌のほか、最後には第九も聞け、ああそいうえば、大晦日か…と思い出す。Y夫妻も来ていた。年越しの挨拶をして別れ、我々はアパートへ戻って作業再開。年が明ける前に、ご近所様のK夫妻と、おせちとお雑煮をお裾分けしあう。K夫人の、手作りおせちの美味しさに、舌鼓を打つ。やはり夫人は違う、と我々ジャス・マートおせち組は、恥じ入るばかり…。でも、ま、始めたのも遅かったし、お雑煮も悪くなかったし、年越しそばもおぜんざいも食べられたし、まいっか。明けましておめでとう。今年もどうぞよろしくね。三人で、今年の抱負を誓い合う。
その後は、UNツアーの際に仕入れた
『En Route to Baghdad』というSergio de Melloの生涯を描いたドキュメンタリーを三人で観賞。セルジオ・デメロは、UNTAET・東ティモール暫定統治機構の事務総長特別代表(SRSG)を務め、東ティモールにとっては、1999年の住民投票後の混乱から、2002年独立までを導いた、産みの親でもある。私も独立直前に東ティへ赴任したので、ぎりぎり彼の時代をかいま見た。
当時、2002年5月20日の東ティ独立式典の翌日、コフィ・アナン事務総長夫妻を初め、ルベレス元難民高等弁務官、アルカティリ首相、ラモス・ホルタ外相などが、UN Houseを訪れるのと同時に、セルジオもPKO庁舎から少し離れた国連機関事務所に顔を見せた。少し前までニュースを作っていた私にとっては、何度も編集したセルジオを、生で(実物で)見るのは、なかなか感慨深かった。我々メディア・オフィサーらが夜を徹して作業した写真展を、SG(事務総長)が観賞する後ろで、ネクタイを外して汗だらけのセルジオが走り回り、スタッフにあちこち指示を出していた姿が印象的だった。彼が任務を終え東ティを去った後も、エピソードや名声は残り、存在感や影響力の大きさをいつも感じさせた。
類希なリーダーシップ、各フィールドで実績を残す実力、共に米国が唯一認める、生え抜きの国連高官。それが、命を落とす遠因だったとも言える。イラク・ミッションのSRSGに再び任命され、数ヶ月もたたないうちに、テロで殺された。「米国がセルジオを殺した」 IAEAの調査結果を無視し、大量破壊兵器開発疑惑をでっちあげ、安保理決議を曲解し、国際法違反を犯して、武力行使に踏み切り、セルジオを道連れにした。スタッフ内で感情論がうずめく中、右腕を亡くしたコフィ・アナンは、米国との確執を深めた。任期最後の今年2006年を、どう修めるのだろう。
Aちゃんは明日からタンザニアへ
JASID・
NY支部の研修旅行。いってらっしゃ~い。Nさんはモロッコへ。K君はジャマイカへ。Yはバハマへ。みんな、いいなあ。元旦夜は、私はルームメイトとAと三人で、
Alvin Ailey の最終公演へ。African American Ballet Company で、毎年この時期に定例公演を行っているよう。 副ディレクターは、日本人が務めているとのこと。随分前から友人に勧められていたが、試験などでなかなか行けず、最終公演になってしまった。25ドルの天井桟敷の席だったが、これまた凄かった。最近は、どうしてこう当たりが多いのだろう。4つの演目とも、鮮やかな衣装に、洗練されたバレエの動き、高い跳躍力、躍動感。アフリカの伝統音楽と踊りに、最新のモダン・バレエの技巧を織り交ぜ、ゴージャスに踊りきる姿に、満場総立ちで拍手喝采、最終公演の幕を閉じた。私にとっては、なんて素晴らしい元旦の夜、2006年の幕開け!